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東京都港区立高輪台小学校 : ウィキペディア日本語版
港区立高輪台小学校[みなとくりつ たかなわだいしょうがっこう]

港区立高輪台小学校(みなとくりつ たかなわだいしょうがっこう)は、東京都港区高輪に位置する区立小学校である。
== 概要 ==
1935年昭和10年)に市立高輪台小学校として開校。当時としては珍しい洋風建築の白い校舎が特徴で、東洋一の校舎と呼ばれた。また、当時は現在の港南側まで広がる埋立地が無かったことから、教室から太平洋を間近に臨むことが出来たと言われている。団塊の世代が在籍していた1960年(昭和35年)前後には3,000名以上の児童が在籍し、正規の教室では賄い切れないほどであったが、現在は少子化の波を受け、使われていない教室も存在する。校歌にも歌われているが、かつては人工芝と保健室の境に巨大なの木があった。
校舎は戦時中に建てられたこともあって、防空壕もいくつか存在する。体育館に置かれている鏡の裏は、防空壕への入り口になっている。また、放送室の人工芝側に設置されている倉庫も、防空壕の役割を果たすものであった。また東京がアメリカ軍空襲にさらされていた頃には、校舎全体を白地と青の太い帯で迷彩塗装とした。この塗装色はそのまま1965年(昭和40年)頃まで放置されたのち、本来の白一色に塗り戻された。
立地条件が港区高輪という地域柄、少数ながら外国人子弟の姿も見られる。
給食は、1989年(昭和64年)までは完全パン食であったが、その後改築工事が行われ、現在は米飯も出される。因みに、同校のパンは全て自前で賄っていたが現在はおこなわれていない。
校舎内の階段の手摺が色分けされているのも特徴の一つで、赤階段、青階段、白階段、黄色階段などと呼ばれている。保健室のすぐ横には黄色階段が存在するが、注射後に階段を登るとズキズキ痛みが走ることから、一部では死の黄色階段などという呼ばれ方もされた。
2002年(平成14年)には、校舎工事のためいまの三田中学校(三田中学校も仮校舎)に移転。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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