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李荘妃[そうひ りし] 荘妃李氏(そうひ りし、1588年12月5日 - 1624年12月6日)は、明の泰昌帝の側室。 == 経歴 == 順天府(北京)宝坻の庶民であった李海と劉氏の娘として生まれた。万暦26年(1598年)、後宮に入り、侍女となった。後に、太子朱常洛(のちの泰昌帝)の邸に入り、選侍(皇子の側室)となった。別の選侍李氏(西李、のちの李康妃)と区別して、東李と称された。温和な性格で無口であり、下人たちの評判も良かった。太子から寵愛を受けたが、子供はなかった。朱由検(のちの崇禎帝)の養育を、先に担っていた西李に代わって任された。 万暦48年(1620年)7月、万暦帝の崩御により泰昌帝が即位するが、側室達が妃嬪に封ぜられる間もなく、翌月に崩じた。天啓3年12月3日(1624年1月22日)、天啓帝から光廟荘妃(泰昌帝の廟号の光宗による)に封じられた。また弟の李国棟は従三品錦衣衛指揮同知に任じられた。 魏忠賢と客氏(天啓帝の乳母)に冷遇され、李荘妃は憂憤のうちに病没した。恭懿と諡された。崇禎帝の時代、弟の李国棟が荘田を下賜された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李荘妃」の詳細全文を読む
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