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李亨根[い ひょんぐん]
李 亨根(イ・ヒョングン、、1920年11月2日 - 2002年1月13日)は、大韓民国の軍人・外交官。 大韓民国国軍創設の中心人物の一人。最終階級は日本軍人としては大尉、韓国軍人としては大将。日本名は松山 武雄(まつやま たけお)。本貫は公州。号は青哉(チョンジェ、)。弟に軍人で韓国陸軍第7師団第3連隊長の李尚根〔 1950年9月、首都師団参謀長の時に戦死、 大韓民国陸軍准将に追叙〕。岳父に初代韓国陸軍参謀総長の李應俊。次男に歌手の。''、1920年11月2日 - 2002年1月13日)は、大韓民国の軍人・外交官。 大韓民国国軍創設の中心人物の一人。最終階級は日本軍人としては大尉、韓国軍人としては大将。日本名は松山 武雄(まつやま たけお)。本貫は公州。号は青哉(チョンジェ、)。弟に軍人で韓国陸軍第7師団第3連隊長の李尚根〔 1950年9月、首都師団参謀長の時に戦死、 大韓民国陸軍准将に追叙〕。岳父に初代韓国陸軍参謀総長の李應俊。次男に歌手の。 == 経歴 ==
=== 第二次世界大戦まで === 日本統治時代の朝鮮・忠清南道公州で両班の家系で生まれた。 1942年、陸軍士官学校(56期)を卒業。関東軍第3師団野砲兵連隊付として湘桂作戦に従軍、昭和20年より野砲兵第73連隊中隊長。東京で陸軍大尉として終戦を迎えた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李亨根」の詳細全文を読む
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