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昭和製鋼所 : ウィキペディア日本語版
昭和製鋼所[しょうわせいこうしょ]

昭和製鋼所(しょうわせいこうしょ、英語名:''Showa Steel Works'')とは、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの間、満州で活動していた鉄鋼メーカー。私企業ではあるが政府・軍に統制され、国策会社の色合いが強かった。本社および工場は鞍山に置かれた。
== 沿革 ==
製鉄所を鞍山に設置する計画は、南満州鉄道(満鉄)総裁の中村是公が1913年に日本政府に対して建議したことに始まる〔解学詩「鞍山製鉄所の変遷 (1) 」(翻訳・松野周治)『立命館経済学』第37巻6号、立命館大学経済学部、1989年〕。満鉄は、埋蔵量が豊富で水資源や交通の便もよいこの地が製鉄所の適地として日本政府に建設を申請し、1916年10月に許可が下りる〔。許可後の1917年3月に製鉄所は鞍山製鉄所と命名され、同年に着工された〔。建設に当たっては、張作霖からの便宜を得て土地を収用し、用地は南満州鉄道附属地に編入されて満鉄が一部の行政権を執行する形となった〔。1918年5月、満鉄社内の「鞍山工場準備掛」と「沙河口工場建設課」を母体に、「鞍山製鉄所」が正式に設立された〔。1919年4月に1号高炉の「火入れ」がおこなわれ、操業を開始した〔。しかし、操業後まもなく第一次世界大戦の終結に伴い、世界的に鉄鋼需要が減少し、経営は難航した〔。加えて、鉄鉱石の品位が低かったこともコストを押し上げたが、これについては技術的な対応や、設備の拡充(2号高炉や選鉱場の建設)により、2号高炉が操業開始した1926年以降はコストが大幅に下がり、製鉄所として利益が出せるようになった〔解学詩「(2) 」(翻訳・松野周治)『立命館経済学』第38巻1号、立命館大学経済学部、1989年〕〔このほか、満鉄総裁の山本条太郎が実施した、固定資産減価償却や鉄道運賃・石炭価格の引き下げ、日本政府による補助金も経営改善に寄与した(「鞍山製鉄所の変遷 (2)」)。〕。1930年には3号高炉も操業を開始している〔。
経営が軌道に乗ったころ、当時の満鉄社長〔1919年から1929年までは理事会を廃止してトップの役職は社長であった。〕である山本条太郎は、さらなる製鉄設備の拡充を目指す中で、中華民国が輸出関税を引き上げる動きがあることを懸念して、日本本土に対しては関税もなく運輸コストも低い朝鮮新義州に新たな製鉄所を設置する計画を着想する〔。1929年に新義州の製鉄所のために、昭和製鋼所が京城府(現・ソウル)に本店を置いて設立されたが、まもなく計画は中止された〔〔松田俊郎「1940年代後半における昭和製鋼所の製鋼工場 」『岡山大学経済学雑誌』No.30(1)、岡山大学経済学部、1998年〕〔会社設立の時期について、松田周治は「
5月」、解学詩は「7月」と記している。〕。中止となった経緯については、当時の経済事情の悪化が原因とする見方〔と、日本の政権(田中義一内閣から濱口内閣に)および満鉄トップ(山本から仙石貢に)の交代を主因とする見方〔とがある〔影響の有無は不明ながら、鞍山をはじめとする満州の日本人側ではこの計画に反発して政府へ鞍山での建設請願もおこなわれた(解学詩、1989年(2))。〕。結局、昭和製鋼所は1933年6月、本店を鞍山に移転の上、鞍山製鉄所を合併した〔。資本金1億円。1933年6月以降の本社は鞍山にあり、用地面積は270万坪。年産は鉄鋼採掘設備約1690000トン、石灰石採掘設備440000トン、銑鉄製造設備約450000トン、選鉱設備約660000トン、骸炭設備設備約460000トン、製鋼設備(鋼塊)約400000トン、その他窯業、動力、給水、運輸、熱管理などの諸設備、各種副産物製造設備など。鞍山製鉄所は主に粗鉄を利用して、鞍山地区の1934年の採鉱量は95万トンに上った。1935年度の生産高は銑鉄471725トン、焼結鉱501120トン、骸炭480471トン、硫安7715トン、鋼塊211564トンなど。従業員は職員、雇員約3900名、その他従業員17000余名。
1937年満州国内で南満州鉄道の影響力が強くなりすぎる事を恐れた関東軍が、鮎川義介を招致する。鮎川は持ち株会社である満州重工業開発を設置して、昭和製鋼所も南満州鉄道から譲渡を受ける。1944年4月、本渓湖煤鉄公司、東辺道開発会社、光建設局とともに満州製鉄株式会社に再編統合され、満州製鉄鞍山本社となる〔。
1945年第二次世界大戦での日本軍の敗北により、満州国は崩壊し、昭和製鋼所も廃止された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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