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旭友ストア : ウィキペディア日本語版
旭友ストアー[きょくゆうすとあー]

株式会社旭友ストアー(きょくゆうストアー)は、かつて存在した旭川電気軌道傘下の企業〔。
北海道旭川市に本部を置き、旭川市を中心に北海道内でスーパーマーケットチェーンを展開していた〔。
シンボルマークはペリカンをモチーフにしていた〔“旭友ストアー事業撤退 価格競争激化 重荷に 資本力の弱さで後れ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2010年1月15日)〕。
== 歴史・概要 ==

「旭川電気軌道」の子会社で1968年(昭和43年)に旭川市にスーパーマーケットを開店したのが始まりである〔。
千歳店の出店を皮切りに旭川地区以外へも進出を図り〔“道内地方スーパー、道央圏進出が活発化、つしまが苫小牧、旭友は千歳に大型店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年4月21日)〕、2000年(平成12年)4月には同年1月に破綻した丸藤さいとう(店舗名プラザさいとう)〔“旭川電気軌道が丸藤さいとう8店買収へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年3月24日)〕の閉鎖店舗8店舗を買収して道南に進出した〔“取材手帖=旭川電気軌道・豊島社長「まず地域貢献を」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年5月19日)〕。
1995年(平成7年)11月24日には八社会に加盟して同社のプライベートブランド「Vマーク」を導入し〔“八社会、旭友ストアー加入、Vマーク供給を開始”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年11月27日)〕、1996年(平成8年)には自社のプライベートブランド「こだわり商品」を投入した〔“旭友ストア、「こだわり商品」を強化 品揃え見直しへ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年3月14日)〕。
地盤としていた旭川地区は北海道内でも特に価格競争が激しかったため、当社も1995年(平成7年)に前々年より販売価格が約10%ほど下げて対応した〔“北海道地区新春特集 地方流通業者の生残り戦略 旭友ストアー・豊島弘通社長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年1月30日)〕。
こうした激しい競争に対応する経営基盤となる自己資本比率を高めることを目的として〔“旭川電気軌道、2000年に店頭公開・上場目指す”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年9月10日)〕、1997年(平成9年)4月には親会社の旭川電気軌道と合併した〔“旭川電気鉄道、旭友ストアーを合併 ストア事業拡大へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月11日)〕。
2000年(平成12年)度には22店舗で約175億円の売上を上げ、21店舗で約218億円の「ふじ」と並んで旭川地区では大手の食品スーパーとなっていた〔。
2001年(平成13年)3月から地元食品卸と提携して魚卵・塩干魚など水産品の加工を委ねる形で魚部門の加工センターを立ち上げ、肉部門でも同様に加工センターを設置することで店舗での作業を軽減して価格競争力の強化を図った〔“旭川電気軌道、魚・肉のPC再整備でコスト減”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年4月27日)〕。
2002年(平成14年)5月24日に千歳店を改装するなど同年からは既存店の強化を中心に据え〔“取材手帖:旭川電気軌道・太田章常務「地元の足場固め」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年7月29日)〕、2006年(平成18年)2月23日にはれたす四条店を100円均一店に業態転換する〔“旭友ストアー、2店で100円ショップ業態導入”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年3月8日)〕など既存店のテコ入れを図った。
しかし、2008年(平成20年)3月期には18店舗で売上高約115億円となって〔赤字転落した〔“コープさっぽろ:旭友ストアーの8店を営業継承”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2010年1月17日)〕。
そこで同年8月1日に旭川電気軌道本体の直営で行ってきたスーパーマーケット事業を再び分社化して(2代目)旭友ストアーを設立し〔、再建を目指した。
その後店舗網の再編を進めて14店舗に縮小したものの〔、2010年(平成22年)3月期も約1.2億円の経常赤字に陥ることが見込まれたことから〔、当社を清算してスーパーマーケット事業から撤退することになった〔“旭川電気軌道が旭友ストアーを清算 8店、コープさっぽろに”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2010年1月15日)〕。
従業員約700人〔のうち約500人の勤務していた主要8店舗についてはコープさっぽろが経営を引き継ぐことになり〔“コープさっぽろ、旭友ストアー8店の継承発表 4月から順次再開”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2010年1月17日)〕、その旨が2010年(平成22年)1月16日に会見で発表された〔。
その際には、店舗の土地・建物は売却されず、「旭川電気軌道」から「コープさっぽろ」へ賃貸借契約を結んで貸与する形となった〔。
当社とその親会社「旭川電気軌道」は会長の豊島弘通のワンマン経営とされ〔『ワンマン豊島会長に本人訴訟で勝った電気軌道社員』 月刊北海道経済 2013年8月号 (北海道経済)〕、当社の事業終了と譲渡についての記者会見も豊島が「コープさっぽろ」の大見英明理事長と共に行っている〔。
この事業継承の際には各店舗は一旦閉店して改装を行った後に、「コープさっぽろ」の店舗として新装開店している。
この「コープさっぽろ」に継承することになった8店舗はほとんどが黒字店とされていたが、萩野店は2011年(平成23年)10月20日に閉店となった〔富士雄志(2011年10月20日). “白老・コープはぎの店きょう閉店…利用者から不安の声”. 室蘭民報 (室蘭民報社)〕。
また、旭川市内にある別の3店舗は現在の社員が独立する形で運営を継続する方針とされた〔〔“コープさっぽろ、旭友の8店継承”. 朝日新聞(朝日新聞社). (2010年1月17日)〕。
しかし、銀座店は元社員が設立したソノマ商事が2010年(平成22年)7月15日に「ベスパー銀座店」を開店したが〔“旭川の旧旭友ストアー店舗で元社員が新スーパー開業”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2010年7月15日)〕、他の2店舗は実際には運営は再開されず、後に別企業が出店している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「旭友ストアー」の詳細全文を読む



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