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志村道夫 : ウィキペディア日本語版
志村道夫[しむら みちお]
志村 道夫(しむら みちお、1914年大正3年) - )は昭和期の歌手。『南から南から』の作曲者で知られる吉田信(加賀谷信)の実弟。本名は吉田義八郎
== 経歴 ==
兵庫県神戸市出身。学生時代は、テニス選手として活躍。上京後、当時ビクターで作曲活動をしていた兄・吉田信(別名:加賀谷伸、塙六郎)の紹介で、声楽家徳山璉の門下となる。
 1935年昭和10年)ニットーのジャズ用レーベルだったクリスタルレコードからデビュー。初期の服部良一作品「流線型ジャズ」など、主にジャズ調の曲をレコーディングした。ニットーがタイヘイに吸収合併された後は、一時、マイナーレーベルからもレコードを出していた。1938年(昭和13年)に東京高等音楽学院を卒業。翌年、コロムビアの専属となり、中野忠晴が率いたコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズなどと組んで再びジャズ調の流行歌を歌い、松竹映画『純情二重奏』にも出演。
 1940年(昭和15年)、召集令状が下り、コロムビアを挙げて、志村の入営のための壮行会を行ったが、学生時代にテニスで足を痛めた後遺症から、除隊を言い渡され、すぐに歌手として復帰。1940年(昭和15年)3月発売の奥山彩子との「蛇姫絵巻」が「お島千太郎旅唄」とのカップリングでヒット。その後、「春は朗らか」「密林の月」などをレコーディングするが、大ヒットには恵まれなかった。
 戦後も1947年(昭和22年)にも「青春の歌」などを発売し、映画にも出演しているがあまり振るわず、1950年(昭和25年)にポリドールに移籍。翌年、ポリドールが経営不振から国内の流行歌部門を閉鎖し、流行歌の世界から遠ざかった。
 昭和40年代に放送された「なつかしの歌声」には何度か出演している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「志村道夫」の詳細全文を読む



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