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富野暉一郎 : ウィキペディア日本語版
富野暉一郎[とみの きいちろう]

富野 暉一郎(とみの きいちろう、1944年2月2日 - )は、日本社会運動家、元逗子市長在日米軍施設である池子弾薬庫跡地への住宅建設に反対する住民運動に推されて、1984年に市長となった〔小山、2010、p.93〕。1992年に次期市長選への不出馬を表明して退任し〔小山、2010、p.108〕、その後は、島根大学教授、龍谷大学教授を歴任した。
== 経歴 ==
1944年、当時は横須賀市の一部となっていた神奈川県逗子の旧家に長男として生まれる〔 〕。小学生の頃から天文学を志し〔、
京都大学理学部宇宙物理学科へ進み、1966年に卒業して、さらに東京大学大学院理学系研究科で天文学を専攻したが、1973年には博士課程中退に至った〔。大学院在学時には、アイザック・アシモフの天文学に関する著作の翻訳にも関わった〔共立出版による『アシモフ選集』天文編4(1972年)と、5(1971年)は、平井正則と富野の共訳になっている。〕。
大学院在学中に、父親が死去し、会社経営を引き継ぐために研究者への途を断念し、以降、株式会社双立工業所専務取締役(1972年 - 1977年)、株式会社ヘリオス取締役社長(1977年 - 1982年)として、ごみ処理機械の開発や営業にあたっていた〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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