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和田一次 : ウィキペディア日本語版
和田一次

和田 一次(わだ かずつぐ、1884年明治17年)5月27日〔『大日本法曹大観』p.449〕 - 1949年昭和24年)3月19日〔『日本の歴代市長』第3巻、p695〕)は、宮崎市長判事
==経歴==
宮崎県宮崎郡清武町(現在の宮崎市)に吉田格太郎の二男として生まれ、和田重明の養子となった〔〔『人事興信録』〕。1911年(明治44年)に東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、司法官試補となった〔〔。1913年大正2年)、判事となり、水戸区裁判所判事、水戸地方裁判所判事、東京地方裁判所判事を歴任した〔。
1917年(大正6年)、台湾総督府法院判官となり、台北地方法院判官、覆審法院判官、高等法院覆審部判官を歴任した〔。1920年(大正9年)、台湾総督府事務官に転じ、法務部民刑課長・監獄課長、法務部長、総督官房文書課長・調査課長、台湾総督秘書官を務めた〔。
1929年(昭和4年)、再び判事となり、広島控訴院部長、函館地方裁判所長、札幌地方裁判所長、長野地方裁判所長、福岡地方裁判所長〔、神戸地方裁判所長〔、大審院部長〔を歴任した。
退官後の1945年(昭和20年)、宮崎市長に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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