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千歳御門 : ウィキペディア日本語版
千歳御門

千歳御門(ちとせごもん)は、富山県富山市富山城址公園内にある歴史的建造物である。もともと、埋門(うずみもん)と呼ばれていた〔再現千歳御殿 p.23〕。
平成20年(2008年)10月29日に富山市指定文化財に指定されている

== 概要 ==
嘉永2年(1849年)に前田利保が隠居のために富山城内に造営した千歳御殿の正門として建てられた〔再現千歳御殿 p.23〕。
千歳御殿の本体は安政2年(1855年)の大火で焼失して現存してない〔再現千歳御殿 p.25〕が、千歳御門はこの焼失から免れ残ったと考えられており〔富山城ものがたり p.54〕〔再現千歳御殿 p.25〕、富山城唯一の現存建築遺構である〔富山城探訪 p.99〕。なお、創建当初のものではなく安政2年(1855年)の大火で焼失後の再築との説もあったが、富山城址公園への移築工事中に柱に「嘉永二年酉 七月上旬出来」との墨書(〔再現千歳御殿 p.23〕に写真あり)が発見され、千歳御殿建築当時のものであることが確認された。
明治5年(1872年)に千歳御殿が解体された際〔再現千歳御殿 p.25〕、千歳御門は富山市米田の豪農に払下げられ、郊外に移築された〔富山城探訪 p.99〕〔再現千歳御殿 p.24〕。そのため、移築前の元の場所を襲った大火や空襲を免れ残ることができた〔再現千歳御殿 p.24〕。所有者が平成17年(2005年)に富山市に寄贈。平成18年(2006年)から平成20年(2008年)にかけて富山城址公園内に移築され〔富山城ものがたり p.54〕、平成24年(2012年)4月より常時開門を開始して城址公園の新たな玄関口となった〔富山市の文化財4 〕。
千歳御門が元々建造された富山市桜木町は、この地より東に約100メートル離れた場所である〔再現千歳御殿 p.24〕。当時は西向きに建てられていたが、現在は東向きに建てられている〔再現千歳御殿 p.24〕。
門は総欅造り〔再現千歳御殿 p.24〕で、門形式は三間薬医門(さんげんやくいもん)といわれる格式の高い城門建築〔富山城探訪 p.99〕で、桁行(正面)が約6mで梁間(側面)が約2m〔再現千歳御殿 p.24〕〔富山市の文化財1 〕である。現存する同形式の門は東大赤門(旧 加賀屋敷御守殿門)だけとされる〔富山城探訪 p.99〕。

画像:Chitose gate2 in Toyama,Japan.jpg|正面から見た千歳御門
画像:Chitose Gomon in Toyama, from Back side.JPG|内側から見た千歳御門
画像:Chitose gate1 in Toyama,Japan.jpg|富山城天守閣から見る千歳御門
画像:Old site of Chitose Gomon.JPG|千歳御門が元々建造された富山市桜木町の跡地
画像:Chitosegomon yane.JPG|千歳御門の屋根


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千歳御門」の詳細全文を読む



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