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今泉みね : ウィキペディア日本語版
今泉みね[いまいずみ みね]
今泉 みね(いまいずみ みね、1855年4月19日安政2年3月3日) - 1937年昭和12年)4月10日)は、蘭学者桂川甫周(7代目)の娘。晩年に口述による自叙伝『名ごりの夢』を残した。
== 生涯 ==
安政2年(1855年)3月3日ごろ〔「関係人物略伝・今泉みね略歴」、『名ごりの夢―蘭医桂川家に生れて』(平凡社東洋文庫)p.245〕、桂川甫周・久邇夫妻の次女として、江戸築地中通り(現在の東京都中央区築地1丁目10番地)に生まれる〔。父の交友関係から、幼い頃より著名人との交わりを持っていた。14歳(数え年、以下同)の時に徳川幕府の「瓦解」に遭遇する〔。
1873年(明治6年)、石井謙道の仲介で〔、司法省出仕の官吏今泉利春に嫁ぐ〔「関係人物略伝・今泉みね略歴」、『名ごりの夢―蘭医桂川家に生れて』(平凡社東洋文庫)p.246〕。佐賀藩出身の利春は、1874年(明治7年)に司法省を辞職して代言人(弁護士)となり、西南戦争に際して投獄されるなど、波乱の人生であった〔「関係人物略伝・今泉みね略歴」、『名ごりの夢―蘭医桂川家に生れて』(平凡社東洋文庫)pp.246-247〕。利春は1886年(明治19年)検事に任官するが、1894年(明治27年)病死〔「関係人物略伝・今泉みね略歴」、『名ごりの夢―蘭医桂川家に生れて』(平凡社東洋文庫)p.247〕。みねは40歳で寡婦となった〔〔。
みねが孫らに語る形で記された聞き書き『名ごりの夢』は、息子の今泉源吉の求めによって口述されたもので、1935年(昭和10年)から1937年(昭和12年)4月まで、源吉が刊行していた文学雑誌『みくに』に毎号寄稿された〔今泉源吉「はしがき」、『名ごりの夢―蘭医桂川家に生れて』(平凡社東洋文庫)はしがきp.1〕。幕末から明治初年にかけての桂川家とその周辺の人々、江戸の町の様子を活写している。
1937年(昭和12年)4月10日、鎌倉の自宅で死去、享年83〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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