翻訳と辞書
Words near each other
・ 五井戦争
・ 五井持軒
・ 五井昌久
・ 五井村
・ 五井松平家
・ 五井機関区
・ 五井火力発電所
・ 五井町
・ 五井自動車教習所
・ 五井藩
五井蘭洲
・ 五井輝
・ 五井運転区
・ 五井道子
・ 五井駅
・ 五井駅東口整備構想
・ 五井駅東口開発
・ 五人と一ぴき
・ 五人のあばれ者
・ 五人の剣道十段


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

五井蘭洲 : ウィキペディア日本語版
五井蘭洲[ごい らんしゅう]
五井蘭洲(ごい らんしゅう、元禄10年4月8日1697年5月27日) - 宝暦12年3月17日1762年4月11日))は江戸時代中期の儒学者国学者。名は純禎、字は子祥、通称は藤九郎、号は蘭洲のほか、冽庵、梅塢。本姓は藤原氏
== 生涯 ==
元禄10年(1697年)4月8日、儒学者五井持軒と妻香川氏との三男として大坂に生まれた。家が貧困のため、幼くして摂津国尼崎城下の遠戚に預けられ、藩主青山幸秀信濃国飯山藩転封に伴い飯山城下に移った。
正徳3年(1713年)大坂に帰る。享保9年(1724年)の享保の大火中風の母と共に焼け出され、平野の旅宿井筒屋佐平方に身を寄せた。困窮の中、享保11年(1726年)中井甃庵に招かれて懐徳堂助教に就任、10月5日に開講した。
享保12年(1727年)初夏、三輪執斎を頼って江戸に下り、下谷和泉橋の明倫堂で講義を行った。享保16年(1732年)陸奥国弘前藩伊予国大洲藩から士官の誘いがあり、翌年3月3日弘前藩御手廻格30人扶持となった。主に江戸屋敷で儒学を教え、国元は藩主津軽信著に従い2度訪れたが、学問の振るわぬ土地柄を厭い、元文5年(1740年)5月11日病を理由に禄を辞した。
帰坂後上町に住居を構えて懐徳堂助教に復帰、病中の学主中井甃庵を助け勢力的に講義を行った。寛保3年(1743年)9月に懐徳堂右塾に移住した。宝暦8年(1758年)、第2代学主中井甃庵が死去した際には、年齢や外聞を考慮し役職には就かなかった。
宝暦9年(1759年)5月28日、母、姉に続いて中風に罹り、講義を行えなくなった。中井履軒を伴い有馬温泉湯治を行うも効なく、宝暦12年(1762年)死去。辞世は「死なん命惜しからぬ身も親と云へば子の無けくらん事ぞ悲しき」。代々の墓所天満九品寺は手狭のため、上本町筋八丁目寺町(大阪市天王寺区上本町四丁目)実相寺に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「五井蘭洲」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.