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九鬼 副隆(くき すえたか、延宝2年(1674年)- 元禄10年5月18日(1697年7月6日))は、摂津三田藩の第4代藩主。九鬼家宗家5代。 大和柳生藩主柳生宗冬の嫡子柳生宗春の次男。母は九鬼久隆の娘。官位は従五位下。長門守。幼名は万吉。 貞享3年(1686年)5月、先代藩主の九鬼隆律の養嗣子となり、同年の隆律の死去により跡を継いだ。元禄元年(1688年)12月25日、叙任する。元禄4年(1691年)6月18日、御小姓となる。元禄10年(1697年)5月18日、三日月で死去し、跡を従弟で養嗣子の隆久が継いだ。法号は直指院。墓所は兵庫県三田市西山町の心月院。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九鬼副隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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