翻訳と辞書
Words near each other
・ 中共軍隊
・ 中兵庫信用金庫
・ 中兼和津次
・ 中内亮玄
・ 中内力
・ 中内功
・ 中内啓光
・ 中内啓行
・ 中内敏夫
・ 中内村
中内正
・ 中内正利
・ 中内潤
・ 中内田村
・ 中内蝶二
・ 中内記
・ 中冨一郎
・ 中冨伸一
・ 中冨正義
・ 中冨記念くすり博物館


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

中内正 : ウィキペディア日本語版
中内正[なかうち ただし]
中内 正(なかうち ただし、1959年8月4日 - )は、日本実業家福岡ダイエーホークスのオーナー、読売ジャイアンツのオーナー顧問を歴任した。財団法人中内育英会第2代理事長。ダイエー創業者、中内功の次男。実兄はダイエー元副社長の中内潤。妻は常陸宮華子の姪、るみ(財団法人中内育英会第4代理事長)。芦屋高校及び青山学院大学経済学部卒業、経済学士。南カリフォルニア大学経営大学院修士課程修了、MBA
==人物==
高校時代の同級生に後のホークス投手コーチ矢野実がいる。
オーナー代行〜オーナー時代、母校青学から小久保裕紀井口忠仁をはじめとする多くの有望選手のホークス入団に尽力。
2003年11月、読売ジャイアンツ小久保を無償トレードした際に開かれた記者会見の席で涙した事が話題となるが、これは球団社長高塚猛が小久保の自由契約による事実上の放出を強硬に主張したので、これを回避するために泣く泣く巨人への放出を決断したからだと言われている。
ダイエーの経営危機によるソフトバンクへの球団売却後も球団経営に対する真摯な姿勢を評価されてホークスでは引き続き名誉顧問職に就任する。だが、ダイエーの創業者一族の経営責任を問う主張は収まらず、2006年1月26日に保有していたソフトバンクホークスの株2%を球団に譲渡し、同日付でソフトバンクホークス非常勤名誉顧問から退任した。
2006年2月1日付で読売ジャイアンツオーナー顧問に就任〔「前ソフトバンクの中内氏が巨人オーナー顧問に/プロ野球」、読売新聞 東京朝刊、2006年2月1日、21頁。〕。2009年1月まで務めた〔スポーツニッポン2010年6月4日。〕。
2005年11月、父・中内功の後を継いで財団法人中内育英会の第2代理事長に就任。2011年3月まで務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中内正」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.