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ロバのパン屋 : ウィキペディア日本語版
ロバのパン屋[ろばのぱんや]
ロバのパン屋(ロバのパンや)とは、昭和のはじめから、日本ロバあるいは馬車を牽かせて街なかを移動しながら売られたパン屋のことである。
日本が高度経済成長を迎えると馬車による販売形態は姿を消し、自動車による販売に切り替えられた。
== 起源 ==
日本で最初はロバを使っての営業を始めたのは、パンではなくで、兵庫県朝来郡竹田町(現在の朝来市)の竹末駒吉が経営する竹末米穀店が始まりである。
大正末期は、米価が高騰して各地で米騒動が起きて混乱し、貧しい庶民にはなかなか買えない時代だった。それに心を痛めた竹末は、1928年(昭和3年)当時の朝鮮に渡り「朝鮮米」を安価で仕入れ、それを日本で販売し誰もが米を買える値段で売れるように考えた。しかし「朝鮮米」は細くて見た目が悪いので店頭ではなかなか売れない。そこで朝鮮に渡ったときに馬と一緒に持って帰ってきたロバを使って、各地域を自分から回って米を売り歩く方法を考えた。ロバは見た目より我慢強く重い荷物も運べると考えたからである。ロバの背中にふた袋の米袋を提げ丁稚を使い売り歩いた。その当時、朝来郡の竹田町以外の地区は、貧しい家庭や、米が取れても庄屋に大部分をとられる貧農が多く、とても普通の「国産の米」など買えない人たちが多かった。地域を回る愛くるしいロバの表情に引かれ人が集まった事もあり、竹末米穀店が売る安い朝鮮米は飛ぶように売れた。その後ロバが年を取り死んで、駒吉の子供たちが竹末家の家業を継ぐ頃には日本は太平洋戦争に突入。「ロバの米屋さん」と言われた米穀店も衰退していった。
最初にロバを用いてパンを販売したのは、石上寿夫が札幌市で起業したロバパン石上商店である。1931年(昭和6年)にパン屋を創業した石上は、偶然にも札幌で開催された博覧会に出展するために中国から送られた、「ウィック」という愛称のロバを貰い受けた。そこで、ロバに曳かせた馬車でパンを売れば、子どもの目を引くという発想で会社を立ち上げた。石上の考えたロバ移動車では、蝶ネクタイを締め、競馬の騎手の扮装をした御者が、リヤカーを改造した小型の馬車を駆って営業を行なった。石上商店では、初代のウィックの引退後も、何頭かロバを購入し、積雪期には馬車ではなくソリを装着した馬車も牽かせた。ただ、馬より体力の弱いロバの負担を思い、ロバ移動車での販売は数年後に中止した。石上商店はその後株式会社となり、北海道シェア2位の製パン会社ロバパンとして存続している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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