翻訳と辞書
Words near each other
・ ルシアン・ブテ
・ ルシアン・ブラシュチック
・ ルシアン・ブーテ
・ ルシアン・プチブルトン
・ ルシアン・プティブルトン
・ ルシアン・ミシャール
・ ルシアン・ミュラー
・ ルシアン・ミューラー
・ ルシアン・ラリエール駅
・ ルシアン・リトルフィールド
ルシアン・ローラン
・ ルシア・エチェバリア
・ ルシア・ガイド
・ ルシア・サラーテ
・ ルシア・ドス・サントス
・ ルシア・フレスコ
・ ルシア・ライカ
・ ルシアーナ
・ ルシアーノ・ガジェッティ
・ ルシアーノ・コヘア


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ルシアン・ローラン : ウィキペディア日本語版
リュシアン・ローラン

リュシアン・ローラン(Lucien Laurent, 1907年12月10日 - 2005年4月11日)は、フランスヴァル=ド=マルヌ県サン=モール=デ=フォッセ出身のサッカー選手FIFAワールドカップで最初のゴールを挙げたことで有名。
==経歴==
1921年から1930年までセミプロチームのCAパリでプレイ、1930年からは彼が働くプジョーのワークスチームであったFCソショーへと移籍。
兄のジャン(本大会試合出場なし)と共に1930年第1回W杯ウルグアイ大会フランス代表メンバーに選出されるが、アマチュア選手であったため、フランスサッカー連盟からは基本的な手当を受け取ったのみである。
1930年7月13日、開幕戦となったフランス対メキシコ戦の前半19分にローランは歴史的なワールドカップ初ゴールを挙げた。フランスはこの試合に4-1で勝利したが、アルゼンチンおよびチリとの試合を落としてグループリーグで敗退。ローラン自身は2戦目のアルゼンチンとの試合中に受けた負傷のため、3戦目は欠場した。
1934年W杯イタリア大会のフランス代表にもメンバー入りしたが、負傷のため出場機会はなかった。フランス代表通算10試合出場2得点。
第二次世界大戦勃発後は軍隊に招集されたが、ドイツ軍に捕らわれて3年間の捕虜生活を送ることになる。1943年に解放されてからはブザンソンで1946年までプレイして引退。後にトレーナーおよびユース監督を務めた。
1930年W杯フランス代表メンバー唯一の生き残りとして1998年W杯フランス大会でのフランス代表の優勝を見届け、7年後の2005年に97歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リュシアン・ローラン」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.