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リッカルド・フォッリ : ウィキペディア日本語版
リッカルド・フォッリ

リッカルド・フォッリ(、1947年10月21日 - )は、イタリア歌手トスカーナ州ポンテデーラで生まれた。「リカルド・フォッリ」と表記されることもある。

== 来歴 ==
のような歌手に憧れ、ビート・バンドのスレンダーズで活動し、ミラノのクラブで演奏してる時、活動を始めたばかりのイ・プーと一緒になり、1966年7月、リード・ヴォーカルベーシストとしてイ・プーに加わった。〔CD「オペラ・プリマ/イ・プー」解説〕その年にはレコード・デビューを果たし、見た目の良さと優しく甘い歌声ですぐに注目を集め、アイドル的な存在となっていった。
グループが大きく飛躍したのはCBSシュガーのプロデューサー、ジャンカルロ・ルカリエッロとの出会いからで、1971年のアルバム「オペラ・プリマ」からは「Pensiero」「Tanta voglia di lei」の大ヒット曲が生まれた。イ・プーはまたたく間にイタリアで人気の頂点に立ったが、1972年の次作「ミラノの映像 (Alessandra)」を発表後、突然フォッリはイ・プーを脱退し、ソロ歌手に転じた。〔CD「世界/リッカルド・フォッリ」解説〕それから数年間は低迷することとなったが、私生活では同じく歌手のと結婚し、ジャンカルロ・ルカリエッロと再び組んだ1976年のアルバム「世界 (Riccardo Fogli)」がヒット作となり、再浮上に成功した。
1982年にはサンレモ音楽祭で「過ぎ行く日々の物語 (Storie di tutti i giorni)」を歌い、優勝した。〔CD「ロマン組曲/イ・プー」解説〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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