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ベン・ナイトホース・キャンベル : ウィキペディア日本語版
ベン・ナイトホース・キャンベル

ベンジャミン・ナイトホース・キャンベルBenjamin Nighthorse Campbell, 1933年4月13日 - )は、アメリカ合衆国出身の政治家インディアン・ジュエリーのデザイナー。コロラド州の元上院議員で、インディアン系初の上院議員だった。所属政党は共和党民主党から変えた)。北部シャイアン族の長老でもある。妻はリンダ、2人の息子コリンと娘シャノンがいる。ポニーテールの髪型をしており、ハーレーダビッドソンのオートバイを所有しており、オートバイのファンである。2002年にはAMA モーターサイクル・ホール・オブ・フェイム・ミュージアムの栄誉の殿堂に入った。
== 経歴 ==
1933年カリフォルニア州オーバーンで、インディアンの「北部シャイアン族」の父アルバート・キャンベルとアゾレス諸島出身のポルトガル移民の母メアリー・ビオラとの間で生まれた。また妹がいる。母親は結核の病気で、父親はアルコール依存症で頻繁に姿を消していたため、家庭はあまり豊かではなかった。アルコール依存症の父は入院していたため、ほとんど病気の母により育てられていた。しかし10年間はカリフォルニア州サクラメントにあるカトリック系のセントパトリック孤児院で過ごし、キャンベルと妹はカナダアルバータ州にある孤児院で世話を受ける。
この様な環境で育ったため、高校時代の10代の若い時はトラブルを起こすようになり、また学校の成績も余り良くなかった。銃や車や万引きや窃盗に関与していたと言われる。また15歳の時、飲酒運転をしてガソリンを盗んだとして逮捕されている。その後、キャンベルは自分の人生を変えようと決意する。カリフォルニアのサクラメント・バレーで果汁ピッカーとして働いた。その時、一部の日本人の若者から柔道を教えてもらっている。
1950年高校を中退し、1951年にアメリカ空軍に入隊、1950年から1953年までの朝鮮戦争中は韓国に駐留。その時、彼は高校の卒業証書を受け取ることを学び、彼の同等性柔道の訓練を継続した。軍の任務を終えた後、1957年に果物狩りやトラック運転手をしながらサンノゼ州立大学で物理と芸術を学んだ。1960年から1964年には特別研究生として日本東京明治大学に留学。柔道部員として柔道を本格訓練し、1964年の東京オリンピックの時はアメリカの柔道代表の主将として出場していた。
1966年、モンタナのレイム・ディアーでシャイアン族の「名づけの儀式」を受け、祖母の義弟のアレク・ブラックホースより「ナイトホース」のインディアン名を授かる。
その後、教師、警察刑務所のカウンセラー、農業労働者、トラックの運転手などの仕事したり、子供の頃から興味あったインディアンジュエリーのデザイナーとして経営を創める。日本で金属のラミネート加工の積層の技術を学んでおり、その技術はジュエリー制作に生かしていた。200以上制作しているリングやブレスレット、ペンダントはインディアンジュエリーの受賞を幾つか受けている。1977年にコロラド州で牧場経営で馬の調教などもし、リンダ・プライスと出会い、3度目の結婚をする。
1983年民主党からコロラド州議会に出馬し当選。インディアンの権利やコロラドの自然保護を唱えた。1987年に民主党からコロラド州下院議員となる。1991年にリトルビッグホーンの戦いを記念して建てられた「カスター国立記念戦場」の名を「リトルビッグホーン国立記念戦場」に改名する法案の決定に尽力する。
1992年にはコロラド州上院議員となる(インディアン初の上院議員である)。当初の選挙戦は劣勢だったが、故郷の伝統派の戦士、宗教指導者が彼のバックアップを決め、「鷲の羽根を持ち歩き、身体に赤い色を塗るように」と進言し、赤い塗料を送ってきた。ベンは指定された身体の数箇所に赤い色を塗り、選挙戦を戦った。その直後に資金のめどがつき、一気に形勢は逆転、大差で勝利したとベンは述懐している。
1993年ビル・クリントンの大統領就任式ではシャイアン族の羽根帽子を着けた伝統衣装で白馬にまたがり、パレードに加わった。1995年に欧州安全保障協力会議(ヘルシンキ委員会)の委員長を務め、その後自分の考えとクリントン政権の財政政策との違いなどの理由で、民主党から共和党に替えた。1998年にも共和党から再選し共和党議員として働いた。
インディアンの権利保護や司法や自然資源の諸課題の法的整備などに着実して、実績をあげていったが、2005年上院議員を引退。2006年コロラド州知事選に関心を持っていたが出馬しなかった。2007年国立アメリカ・インディアン博物館の資金のためペンダントジュエリーを制作した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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