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ブルーノ・サッコ : ウィキペディア日本語版
ブルーノ・サッコ

ブルーノ・サッコ(''Bruno Sacco'' 、1933年11月12日 - )は、イタリア生まれのカーデザイナーである。2009年現在はドイツに帰化しドイツ国籍である〔『ジャーマン・カーズ ポルシェとベンツのイイ関係』pP.104-105。〕。
合理的な直線基調で飽きが来ず、かつ存在感ある1980年代から1990年代のメルセデス・ベンツの形を決めた人物である。本人によるとデザイナー人生で最も燃えた作品は190EAクラスだったという〔。
メルセデス・ベンツ在籍中、既存のジンデルフィンゲンのデザインセンター以外に新たにアメリカアーバイン日本横浜イタリアコモに3つの先行デザインセンターを立ち上げた。
== 略歴 ==

*1933年 - イタリアフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ウーディネイタリア陸軍山岳部隊士官の父オッタビオ(''Ottavio Sacco'' )とオーストリア人の母マルゲリータ(''Margherita Martinz'' )の間に生まれる。子供時代は父親の転勤のため各地を転々とした。
*1951年 - レイモンド・ローウィがデザインしたスチュードベーカーの車をトリノ・モーターショーで見て深い感銘を受けた。
*1952年 - トリノにあるトリノ工科大学に入学した〔。
*1955年 - 実習生としてカロッツェリア・ギアに入った〔。この期間にピニンファリーナの代表者セルジオ・ピニンファリーナ(''Sergio Pininfarina'' )と出会った。
*1957年 - トリノ駐在ドイツ領事の計らいでダイムラー・ベンツのデザイン部門の責任者であるオーストリア人カール・ヴィルフェルト(''Karl Wilfert'' )との面接を受け、採用が決まった。
*1958年 - ドイツの自動車会社ダイムラー・ベンツに採用され、フリードリッヒ・ガイガーのデザインスタジオでポール・ブラックに続く2人目のスタイリングデザイナーとなった。
*1963年 - デザインスタジオを離れ、ベラ・バレニー(''Béla Barényi'' )の先端安全技術研究部門に移籍した〔。
*1968年 - デザインスタジオに戻り、数種の実験安全車(''Experimental Safety Vehicle'' 、ESV)を手掛けた。
*1974年 - フリードリッヒ・ガイガーの後を引き継いでメルセデス・ベンツのスタイリングデザイン部門のチーフエンジニアとなった〔。
*1999年3月〔 - 引退。後任はペーター・ファイファー(''Peter Pfeiffer'' )。
*2007年 - オートモーティブニュース・ヨーロッパが選ぶヨーロッパ自動車の殿堂入りを果たした〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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