翻訳と辞書
Words near each other
・ フレッド・J・コーネカンプ
・ フレッド・M・ヴィンソン
・ フレッド・P・ブルックス・ジュニア
・ フレッド・T・ジェーン
・ フレッド・アステア
・ フレッド・アトキンス
・ フレッド・アボット
・ フレッド・アポストリ
・ フレッド・アラン・ハートリー・ジュニア
・ フレッド・アラン・ハートレー・ジュニア
フレッド・アレクサンダー
・ フレッド・アーチャー
・ フレッド・アーミセン
・ フレッド・イサム・ワダ
・ フレッド・ウィップル
・ フレッド・ウィラード
・ フレッド・ウィーズリー
・ フレッド・ウェズリー
・ フレッド・ウォード
・ フレッド・ウルフ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フレッド・アレクサンダー : ウィキペディア日本語版
フレッド・アレクサンダー
フレッド・アレクサンダーFred Alexander, 1880年8月14日 - 1969年3月3日)は、アメリカニューヨーク出身の男子テニス選手。フルネームは ''Frederick Beasley Alexander'' (フレデリック・ビーズリー・アレクサンダー)という。1908年の全豪選手権(現在の全豪オープンテニス)で男子シングルス・男子ダブルス優勝を飾り、同選手権で最初の外国人優勝者になった選手である。地元開催の全米選手権でも男子ダブルス5勝を挙げ、とりわけ1907年から1910年までハロルド・ハケット1878年 - 1937年)と組んで4連覇を達成した。彼のテニスは、やせ気味の細い体格から繰り出す滑らかなグラウンド・ストロークを大きな武器とした。
現在は「全豪オープン」として知られるテニス競技大会は、1905年に第1回大会が創設された。最初は男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみで始まり、会場もオーストラリア国内のあちこちの名門テニスクラブを転々とした。アレクサンダーが1908年の第4回大会を制した時は、シドニーの「ダブル・ベイ・テニスクラブ」が会場となった。彼は地元オーストラリアとニュージーランド勢以外の外国選手として、最初の全豪選手権参加者になり、決勝でアルフレッド・ダンロップ1875年 - 1933年)に 3-6, 3-6, 6-0, 6-2, 6-3 の逆転勝利を収めた。ダブルスでは、アレクサンダーとダンロップがペアを組み、アンソニー・ワイルディング&G・G・シャープ組を破って優勝する。こうして、フレッド・アレクサンダーは「全豪選手権史上初の外国人優勝者」になった。その後は、もうこの大会に参加しなかった。
地元開催の全米選手権では、アレクサンダーは1906年から1922年まで出場記録を残しているが、彼のシングルス自己最高成績は1908年の「チャレンジ・ラウンド」(挑戦者決定戦)決勝進出であった。初期の全米選手権は、チャレンジ・ラウンドから「オールカマーズ・ファイナル」(大会前年優勝者とチャレンジ・ラウンド勝者で優勝を争う)への流れで優勝者を決定した。アレクサンダーは全豪で優勝した1908年のチャレンジ・ラウンドでビールズ・ライト1879年 - 1961年)に 3-6, 3-6, 3-6 で敗れ、大会前年優勝者ウィリアム・ラーンド1872年 - 1926年)との「オールカマーズ・ファイナル」に進めなかった。アレクサンダーは全米選手権の男子ダブルスで、ハロルド・ハケットと組んで1905年-1911年まで「7年連続」決勝進出の記録を残した。これは今なお、全米男子ダブルスの史上最多連続決勝進出記録である。1907年から1910年まで、アレクサンダーとハケットは男子ダブルス「4連覇」を達成したが、1911年に連続優勝記録が止まった。
1914年第1次世界大戦が勃発した後も、全米選手権は途切れることなく開催され、アレクサンダーは戦時中の全米選手権にも参加を続けた。ハケットとの男子ダブルス4連覇から7年後、1917年にアレクサンダーは当時19歳のハロルド・スロックモートン(Harold Throckmorton)と組んで5度目の優勝をした。同選手権の混合ダブルスでは、1918年モーラ・マロリーと組んだ準優勝がある。
フレッド・アレクサンダーは42歳を迎える1922年まで全米選手権に出場を続け、1961年国際テニス殿堂入りを果たす。全豪選手権で最初の外国人優勝者となってから60年後、アレクサンダーは1969年3月3日カリフォルニア州ビバリーヒルズにて88歳の長寿を全うした。

== 4大大会成績 ==

* 全豪選手権 男子シングルス:1勝(1908年)/男子ダブルス:1勝(1908年) [単複とも制覇]
* 全米選手権 男子ダブルス:5勝(1907年-1910年・1917年) [男子シングルス準優勝1度:1908年/混合ダブルス準優勝1度:1918年]

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレッド・アレクサンダー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.