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フランク・バイヤー : ウィキペディア日本語版
フランク・バイヤー

フランク・バイヤーFrank Beyer1936年5月26日 - 2006年10月1日)はドイツ映画監督
ドイツ生まれ。地方の劇団で劇を書き始めるのが、彼のキャリアの始まりである。1950年代中頃、プラハにあるFAMU(チェコスロバキア国立映画学院)で映画監督業について学び、そこで助監督を勤めた。1957年彼がそこを卒業すると、ポツダム-バーベルスベルクにあるDEFA(東ドイツ唯一のスタジオ)で監督として働きはじめ、1966年までそこを中心に活動する。だが、1966年の”''Spur der Steine/Traces of the Stone'' ”が当局によって公開不許可になってしまう。再び有名になるのは1974年『嘘つきヤコブ』で、1976年度米国アカデミー外国語映画賞候補になってからである。この映画は『聖なる嘘つき/その名はジェイコブ』(1999)として、ロビン・ウィリアムズ主演で再映画化された。
1989年までは東ドイツ当局の監視を受け、思うように映画が撮れなかったため、1960年代後半で映画監督業は失速する。ベルリンの壁崩壊後活動を再開し、ドレスデン州立劇場のプロデューサーや、テレビや映画のドラマの監督を務めた。バイヤーはドイツ映画アカデミーから生涯功労賞を受賞したほか、1993年ベルリン国際映画祭の実行委員長にもなった。また、ベルリン科学アカデミーからは、「西ドイツと東ドイツの文化を融合させた」ことで顕彰された。
彼の初期の作品で戦争映画の''Fünf Patronenhülsen/Five Bullets'' (1960)、 ''Königskinder/Invincible Love'' (1962) 、『裸で狼の群れのなかに』-''Nackt unter Wölfen/Naked Among Wolves'' (1963)は傑作の誉れが高い。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランク・バイヤー」の詳細全文を読む



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