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ピピンの寄進 : ウィキペディア日本語版
ピピンの寄進[ぴぴんのきしん]

ピピンの寄進とは、フランク王であるピピン3世がローマ教皇にランゴバルド王国を倒して獲得したラヴェンナ地方を寄進した出来事である。
751年当時、ランゴバルド王国はの治世の下、を支配していた。ラヴェンナ総督領はビザンツ帝国イタリア統治の中心であり、領内を管轄する総主教ローマ教皇からは独立しビザンツ皇帝の支配下にあった。ピピンは王位に就くためローマ教皇の支援を求め、サン=ドニ大修道院長に教皇との面会を求めた。教皇は彼に王権を認める代わりに、ランゴバルド人を打ち破ることを要求した。スポレート公とランゴバルド王はローマの支配権を脅かし、アイストゥルフは有能な外交官でもある教皇ザカリアスに貢物を求めていた。ピピンはザカリアスによってソワソン戴冠を受けてピピン3世となり、ザカリアスの跡を継いだローマ教皇ステファヌス3世はローマ教皇誕生以来初めてアルプスを越え、ピピン3世とで面会した。
754年7月28日、ステファヌス3世はピピン3世と2人の息子(カールマンシャルルマーニュ)をサン=ドニ大聖堂で聖別した。これはフランス革命が起こりアンシャン・レジームが終わるまではフランス王の戴冠式とされていた。
756年、ピピン3世はその見返りに最後のランゴバルド王を打ち倒し、教皇にラヴェンナ地方を寄進した。
ピピン3世は756年にもローマで寄進を行い、彼の子のカール大帝774年に寄進を行った。
== 外部リンク ==

*''Catholic Encyclopedia'' : 教皇領 section 3:中部イタリアでのビザンツ皇帝の勢力
*Medieval Sourcebook:


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピピンの寄進」の詳細全文を読む



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