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ビオレタ・チャモロ : ウィキペディア日本語版
ビオレタ・チャモロ

ビオレータ・チャモーロVioleta Barrios de Chamorro, 1929年10月18日 - )は、ニカラグアの政治家。反体制派新聞『ラ・プレンサ』の社主だった夫ペドロ・チャモーロを、1978年にソモサ政権に暗殺された後、政治家となった。1990年から1997年までニカラグアの大統領を務めた。
1990年の総選挙でサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)のダニエル・オルテガに10ポイントの差で圧勝し、同国初の女性大統領となった。
政権に就いた後、FSLN政権からの転換をアピールするために親米政策を採った。当時のニカラグア経済は内戦アメリカ合衆国による経済制裁によって疲弊し、対外債務が100億ドルを越えていたが、娘婿のアントニオ・ラカーヨ・オヤングレンを登用して「チャモロ計画」と呼ばれるニカラグア経済の再建を進め、アメリカ合衆国や日本からの経済援助によってハイパーインフレーションの鎮静化を図った。
チャモロは国防大臣も兼務し、FSLNとの妥協も進め、ダニエル・オルテガの弟のウンベルト・オルテガを軍のトップに据え、第二次ニカラグア内戦の最中に9万人以上にまで肥大化したサンディニスタ人民軍の軍縮と、軍と警察の分離などを実現した。
しかし、政権基盤となった野党連合(UNO)は反FSLN政党の寄り合い所帯であり、当初から副大統領のビルヒディオ・ゴドイとの軋轢が絶えなかった。任期は満了したものの、憲法改正によって再出馬が認められなかったため、1996年10月の大統領選挙には出馬せず、同選挙により自由同盟(AL)のアルノルド・アレマンマナグア市長が当選した。
== 参考文献 ==

* 後藤政子『新現代のラテンアメリカ』時事通信社 1993(ISBN 4-7887-9308-3)
* 田中高(編著)『エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアを知るための45章』明石書店 2004(ISBN 4-7503-1962-7)





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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