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ヒルサイドテラス : ウィキペディア日本語版
ヒルサイドテラス

ヒルサイドテラス渋谷区猿楽町鉢山町旧山手通り沿いに集合住宅、店舗、オフィスなどから成る複合施設である。
建築家槇文彦(アネックスは元倉眞琴)により設計された、彼の代表作の一つである。第1期が竣工した1969年から1998年まで30年の歳月をかけて建てられてきた。D・E棟に隣接する駐日デンマーク大使館(1979年)も槇の設計である。
第1期部分については、2003年にDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている。
==歴史==

ヒルサイドテラスのオーナーである朝倉家は元は甲州武田家に仕えた武士であったとされるが、後に帰農して渋谷に居住した。
江戸末期には三田用水を利用した水車も所有し、明治になるとこの水車の収益で渋谷付近の土地を買い集めて大地主となり、米穀商を営んだ。またこの頃の当主であった朝倉虎治郎は渋谷区議会議長や東京府議会議長を務めた政治家でもあった。しかし第二次大戦後、朝倉家は所有していた土地の大部分を失い、本宅も相続税支払いの為に売却を余儀なくされた(重要文化財・旧朝倉家住宅)。手元に残った旧山手通り沿いの土地を生かした不動産経営を検討していた朝倉家は、先代の当主である朝倉誠一郎および当代当主の朝倉徳道が慶應義塾大出身だった縁で1967年に槇文彦と知り合い、「代官山集合住宅計画」を立案させた〔前田礼『ヒルサイドテラス物語—朝倉家と代官山のまちづくり』現代企画室2002年、20-52ページ〕。
当時、この地域は第1種住居専用地区に指定されており、店舗の開設は認められていなかったが、槇はヒルサイドテラスA・B棟を建設する際に行政と交渉して用途規制緩和を実現し、現在のような住居と店舗が混在する建築を実現させた〔前田前掲書、56ページ〕。
*第1期(1969年)A・B棟
*第2期(1973年)C棟
*第3期(1977年)D・E棟
*第4期(1985年)アネックスA・B棟
*第5期(1987年)ヒルサイドプラザ
*第6期(1992年)F・G・N棟
*第7期(1998年)ヒルサイドウエスト  

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヒルサイドテラス」の詳細全文を読む



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