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パンティカパイオン : ウィキペディア日本語版
パンティカパイオン

パンティカパイオン(、Pantikapaion)またはパンティカパエウム()は、タウリカ(現クリミア自治共和国)にあった重要な古代ギリシアの都市および港である(現ケルチ)。ケルチ海峡の西側にあるミトリダテス山の丘の上にある。紀元前7世紀後期から紀元前6世紀初期にかけて、ミレトス人が建設した。
==歴史==
パンティカパイオンは、紀元前5世紀から紀元前4世紀にかけて、ボスポロス王国のアルカイアナクス朝、スパルトコス朝(ともに王はギリシア人)の首都となって、町自体がボスポロスと呼ばれることもあった。紀元前4世紀紀元前3世紀に経済が衰退し、その結果、サルマタイ人によるステップ地帯の征服、古代エジプトの穀物との競争の激化を招いた。
スパルトコス朝最後の王パイリサデス5世の時、パンティカパイオンはポントス王ミトリダテス6世に譲られた。この譲渡は、スキュティア・ミノルのパラカス王と戦うギリシア人都市を応援するためタウリカに派遣された、ポントス王国の将軍ディオファントスが取りまとめたものだった。引き継ぎは難航した。パイリサデス5世はサウマコス率いるスキタイ人に殺された。ディオファントスは辛くも逃げ、増援を連れて戻ってきて、反乱を鎮圧した(紀元前110年頃)。
半世紀後、ミトリダテス6世が自殺したのも、ここパンティカパイオンだった。王は共和政ローマとの第三次ミトリダテス戦争に敗れた後、息子のファルナケス王子とパンティカパイオン市民との裏切りにあったのだった。紀元前63年、パンティカパイオンの一部が地震により崩壊した。ゴート族フン族の襲撃はさらにこの町を衰退させた。そして、6世紀初期に、パンティカパイオンはユスティヌス1世東ローマ帝国に併合されてしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パンティカパイオン」の詳細全文を読む



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