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ハーレム・スキャーレム : ウィキペディア日本語版
ハーレム・スキャーレム
ハーレム・スキャーレム (Harem Scarem) は、カナダ オンタリオ州トロントを拠点に活動するハードロックバンド2008年に解散したが、2012年の12月に再結成がアナウンスされ、2013年「MOOD SWINGS」発表から20周年となる節目に再録アルバム「Mood Swings II」を発売し、期間限定ではあるが、日本を含めワールドツアーを行っている。
バンド名はアニメ『バッグス・バニー』のエピソードのタイトル「Har-em Scare-Um」に由来する。
== 結成〜バンド名変更まで ==

結成は1988年ころ。当時、Blind Vengeanceというスピードメタルバンドにいたハロルド(ハリー)・ヘス(vo)とダレン・スミス(ds,vo)、Minotaurなるバンドでギターを弾いていたピート・レスペランス(g,vo)、地元で音楽学校に通いながらポルカバンドでベースを弾き、DJの経験もあるマイク・ジオネット(B,vo)の4人で結成される。
結成後、レコード会社のディールを得るためデモテープの作成に励みながら、地元FMラジオ局のコンテストに参加、2位という成績を収め、この結果ワーナーとワールドワイド・レコード契約を結ぶ。
1stアルバム制作はマーク・リブラー等外部ライターの協力も得ながら進められ、1991年『Harem Scarem』としてリリースされる。これをサポートするツアーとして1992年まで北米を中心としてツアーが行われる。
ツアー終了後2ndアルバムの制作に取り掛かり、1993年『Mood Swings』をリリースする。「Change Comes Around」「No Justice」「Saviors Never Cry」などの曲がこのアルバムに収録されている。
またこのアルバムは日本・フィリピン等のアジア諸国でヒットし、特に日本では1990年代に入り低迷気味であったハードロック・ヘヴィメタル界に歓迎を持って受け入れられた。2ndアルバムの成功により、1stアルバムが本国から遅れること3年、1994年に日本でも発売となった。ただ、この日本での成功および『Mood Swings』の成功が後々まで彼らを苦しめることになる。
2ndアルバムに伴うツアー終了後、3rdアルバムを収録、発表する。『Voice of Reason』と題されたこのアルバムは当時の音楽シーンに合わせた重くやや暗めのサウンドとなり、本国ではそれなりに歓迎されたが、日本では2nd,1stの順に発表されたことやBURRN!など音楽雑誌で一様に低調に評価されたためか、評価は今ひとつであった。現在でも、メンバーはお気に入りとして挙げることも多い一方、日本での評価は当時ほどではないがあまり宜しくない。
このアルバム発表直後マイク・ジオネットが脱退し、代わりのベーシストとしてローカルバンドで活躍していたバリー・ドナヘイが加入した。またアルバム発表後のツアーでは来日の予定も組まれ、1995年12月、初来日公演が行われた。このときのライヴの模様は『Live in Japan』に収録され、1996年に発売された。
若干の休養を経て4thアルバムの制作に取り掛かるが、前作の売れ行き低迷を受け、人気低迷を懸念したレコード会社の意向により、明るくポップな曲も織り込んだ『Mood Swings』のような作風を求められ(メンバーも後にそれを認める発言をしている)、デビュー前からのストックから選曲・アレンジを行うなど、本人達とすればやや不本意な形でアルバム制作が進められた。結局4thアルバムは1997年に日本などでは『Believe』、本国カナダでは『Karma Cleansing』という異なるタイトル・収録曲・アートワークでリリースされた。日本盤である「Believe」では、「Believe」「Die Off Hard」「Staying Away」(ダレン・スミスがリードヴォーカルを担当)などの疾走感あふれる、メロディックな曲が歓迎され、高い評価を得た。1997年9月には2度目の来日を果たす。このツアー中に、チープ・トリックの「サレンダー」をカバーしたことがきっかけとなり、パワー・ポップ風の作風にシフトしていく。
1998年には5th『Big Bang Theory』をリリースしたが、この作品ではバンドの売りの一つでもあるピート・レスペランスのテクニカルなギターソロや重厚なコーラスは影を潜め、ハードなパワーポップという作品となった。アルバムリリース後すぐの1998年9月には早くも来日公演を行い、このツアーで1st、2ndからの曲を多数演奏したが、一方「同じことは二度とやらない。過去の演奏はもう十分だ」といった、過去の楽曲に関しては一部を除き封印することを匂わせるような発言をしていた。
そして、1999年。バンドは一大決心を下す。日本以外ではバンド名を改名、ラバー(''Rubber'')と名乗る、つまり地域によりバンド名を変えて活動を行うという前代未聞の決定を下したのである。日本ではHarem Scaremで成功しているが、それ以外の国、特に北米では名前だけで時代遅れのヘアメタル・バンドだと思われていて音楽を聴いてもらえない事が、改名の最大の理由となった。
それを表すかのように、1999年に発表された6thアルバム「Rubber」はハリーのハードロック・ヴォーカリストでは一般的な喉から押し出すような太めの声を封印し、ピート・レスペランスもギターをシングルコイル・ピックアップ搭載のものに持ち替え、曲調もさわやかではあるが穏やかな、軽めのカントリーミュージックのようなサウンドとなり、声に聞き覚えがなければブリットポップと間違うようなサウンドであった。同年11、12月には公演数・箇所とも過去最大規模の来日公演が行われたが、前半ラバー・後半ハーレムスキャーレムというような構成をとった。
またツアー後、ドラムのダレン・スミスの脱退、新ドラマー、クレイトン・ドーンの加入、日本においてもラバーを名乗るという発表がなされた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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