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デイル・ベッグ=スミス : ウィキペディア日本語版
デイル・ベッグ=スミス

デイル・ベッグ=スミスDale Begg-Smith1985年1月18日 - )は、カナダブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身で、オーストラリアへ移住したオーストラリア国籍のモーグルスキーヤーである。
== 経歴 ==
1996-1997シーズンに12歳でノースアメリカンカップに出場。2000-2001シーズンに15歳でカナダの代表としてワールドカップに出場するが、スキーの活動資金を稼ぐ為もあって13歳の頃からIT系の会社も経営しており、仕事が忙しいという理由で練習に参加せず、練習への参加を求めるコーチと仲違いして代表から降りた。しかし、オーストラリアのコーチであったスティーブ・デソビッチによりオーストラリアの代表への誘いを受け、オーストラリアへ移住し市民権を獲得し、オーストラリアの代表として2003-2004シーズンよりワールドカップに再び参戦する。復帰初年度のシーズンは総合18位に終わる。
2004-2005シーズンは2位を2度獲得するなど幾度も上位の成績を納め、総合成績で2位に入る〔ゲンダイネット トリノ五輪・世界のスーパースター 〕〔日刊スポーツ ベッグスミスV! 上野は最下位/モーグル 〕。2005年フリースタイルスキー世界選手権では上位3名が0.15ポイント差という接戦だった。僅かに及ばず優勝はならなかったが、銅メダルを獲得した。
2005-2006シーズンのワールドカップは第2戦でワールドカップ初優勝を果たすと快進撃が始まり、11戦で6勝(表彰台は11戦中8回)。最終的には2位に300ポイント以上の大差をつける圧倒的な強さで、ワールドカップモーグル総合優勝を達成した。また、2006年トリノオリンピックにも出場。ミッコ・ロンカイネンを0.15ポイントの僅差で破って優勝。金メダルを獲得した。
2006-2007シーズンのワールドカップは初戦から優勝で飾り、10戦6勝(表彰台は10戦中7回)と2位に300ポイント近い大差をつけて前年同様の圧勝で2連覇を果たし、デュアルモーグルも3戦2勝で総合優勝してデュアルとシングルでの2冠を達成した。さらに同年のオーバーオール総合優勝も手にしている。2007年フリースタイルスキー世界選手権ではピエール=アレキサンダー・ルソーに破れ、モーグルでの優勝はならず銀メダルだったが、デュアルモーグルでは優勝し、金メダルを獲得した。
2007-2008シーズンのワールドカップは10戦3勝(表彰台は10戦中5回)。2005-2006や2006-2007シーズンのような圧勝とはならなかったが、それでも第9戦終了時点で2位と100ポイント以上の差を付け、最終戦を待たずして優勝を決め、エドガー・グロスピロンに次いで史上2人目となるワールドカップ3連覇達成した。2008-2009シーズンのワールドカップは史上初となる4連覇が期待されていたが、怪我により5戦目以降を欠場するという形で幕を閉じた。また、2009年フリースタイルスキー世界選手権も同様に欠場している。
2004-2005シーズンの総合2位、2005年の世界選手権の銅、2005-2006シーズンの総合優勝、2006年のオリンピックの金、2007年の世界選手権の金などは当時のオーストラリアのモーグル選手としては初であり、モーグルの世界3大大会ともいえるワールドカップ、世界選手権オリンピックで獲得していないタイトルは世界選手権のシングルモーグルだけである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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