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高田純次[たかだ じゅんじ]

高田 純次(たかだ じゅんじ、1947年1月21日 - )は、日本お笑いタレント俳優東京都調布市国領出身。身長175cm。血液型はO型。愛称は「純ちゃん」「純じい」「Mr適当」「TJ」「ミスター無責任」。自身の所属事務所であるテイクワン・オフィスの代表取締役も務める。
== 人物紹介 ==

=== 経歴 ===
幼少時、母親が32歳の若さで病没した後、東京ガス勤務の父親とその再婚相手のいる家庭で育つ〔週刊現代講談社)2014年4月5日号『高田純次67歳、脱力系でいいじゃない』(25-31ページ)〕。
調布市立第三中学校〔「じゅん散歩 柴又」2016年3月14日〕、東京都立府中高等学校卒業後、一流企業勤務や弁護士などを志し、現役で明治大学青山学院大学法政大学中央大学を受けるが全て不合格となる〔「タレント・高田純次(67)(1)大学受験の失敗が人生の転機」 〕。その後一浪し、東京藝術大学武蔵野美術大学多摩美術大学日本大学芸術学部などの美大系や〔成城大学を受験する〔高田純次執筆『人生の言い訳』より。〕がいずれも不合格となり、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科へ進学した〔株式会社テイクワン・オフィス本人紹介 。東京デザイナー学院の同級生J・A・シーザーがいるが、後に中退。〕。学生時代からポスターその他広告媒体をデザイン・制作するアルバイトに励む。
1971年自由劇場の舞台を見て俳優を志願。同劇団に入団し研究生となる。1年で退団し、イッセー尾形とともに劇団「うでくらべ」を結成するが、半年ほどで解散。
その後結婚したが、劇団の収入では生活できないこともあり、26歳の時に宝石販売会社「トキモト」に入社した〔。
1977年に「劇団東京乾電池」に入団。サラリーマン生活を捨て、再び劇団の世界へ入ったものの、当初は売れず。妻子を養うために「警察に捕まるようなこと以外の職は、一通りやった」と本人は語っている〔。
テレビデビューは32歳の時で、『笑点』にてコントを披露した〔本人曰くギャラは三千円だったとのこと。〕。その後、同劇団の綾田俊樹ベンガルらと共に『笑ってる場合ですよ!』に出演し、番組内コーナー「日刊乾電池ニュース」で土用波三助と称して出演し一躍知名度を上げる。劇団を離れた後は、主にテレビ番組出演に活動の場を移す。
1985年1月、37歳でテレビドラマ『毎度おさわがせします』(TBS) に出演する。
1988年に出演した中外製薬グロンサン」(現在はライオンから発売)のCMが話題になり、CMのキャッチコピー「5時から男」で新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞した。
1990年代には、『象印クイズヒントでピント』、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(「純次ダンス」が人気を博した。後述)、『マジカル頭脳パワー!!』など多くのクイズ番組に解答者として出演。『どうぶつ奇想天外!』においては、レギュラー解答者として1993年10月の放送開始から2008年秋までの長きに渡って出演していた。
また、1994年からは中京テレビにて東海地区グルメ情報番組PS(開始当初は『P.S.愛してる!』)の司会を務め、同番組は現在でも長寿番組として人気を博している。東海地区では、キリンビールアサヒビールなどのCMを始め、中京テレビの多くの特番に出演するなど長年懇ろな間柄である。
2000年代に入り、還暦を過ぎた今でもその特異なキャラクターでバラエティ、ドラマなど数多くのテレビ番組で活躍し、コアな人気を博している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Junji Takada 」があります。



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