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ジロ車(ジロしゃ)とは大日本帝国陸軍が試作した数種類の自走砲である。名称の由来は、試作を発注された三菱重工業が自走砲の「ジ」、九五式重戦車の呼称「ロ」を組み合わせて呼称したものである〔北川『日本の重戦車』108、109頁〕。ジロ車には九五式重戦車の車体を改造し、大型の戦闘室を設けて九六式十五糎榴弾砲、または九二式十糎加農を搭載する2種の計画があった。三菱重工業が車体を製作し、陸軍では実地に九二式十糎加農を搭載した。車体の設計図、略図が残されている〔北川『日本の重戦車』102頁〕。 ジロ車は速力25km/hと遅く、歩兵/戦車部隊の要求する時速40km/hでの共同作戦を行なうことが難しいため、1943年(昭和18年)頃に開発続行を断念し、採用が見送られたと推定される。以後には中戦車を利用した自走砲が構想された〔北川『日本の重戦車』113、114頁〕。 == 開発経緯 == 日本陸軍では重戦車の車体に中口径の火砲を搭載し、自走砲とすることを計画していた。第四陸軍技術研究所では1940年(昭和15年)秋から春頃にかけ、戦車に10cm榴弾砲を搭載するという技術本部総務部長のアイデアを検討した。設計者の検討では、戦車の砲塔と車体の一部改造を要し、また弾薬収容の余積がないことから実用にならないと報告された。同時期の1941年(昭和16年)1月、ジロ車の試作が三菱重工東京機器玉川工場に発注された。完成予定は1942年(昭和17年)3月、製造難易度は「難」と判定されていた〔北川『日本の重戦車』108頁〕。 このおよそ半年後、1941年8月の資料では自走式十加の名称で自走砲が以下のように規定されている〔北川『日本の重戦車』109頁〕。 *重戦車の車体を利用し、九二式十糎加農の搭載を研究する。 *超重戦車への対応、堅陣突破に用いる兵器として考案されている。 *搭載する九二式十加は小架以上を利用する。また射界は俯仰-5度から+30度、左右各18度とする。 ジロ車の重量は30トン、「BMW6290AG」(BMW水冷直列6気筒290馬力ガソリンエンジン)を搭載し、25km/hでの走行が目指された。三菱重工の内部資料の日付と状況により、ジロ車の車体は1942年末、また1943年前半までには完成し、陸軍に引き渡されたと推定される。完成したジロ車には15cm榴弾砲または10cmカノン砲のどちらでも搭載できる汎用性が与えられていた。1942年11月、大阪陸軍造兵廠の調製書類には試製中口径自走砲が記載されている。引き渡された車体に火砲を搭載したのは1943年後期以後と推定される。九二式十加を搭載したジロ車は伊良湖射場にて発射試験を実施した。設計者は火砲取付台の強度に特に留意して設計し、発砲時にも車外から引き金を操作している。発射試験は問題なく成功した〔北川『日本の重戦車』112頁〕。ジロ車の三菱重工での製造記録数は1両のみである〔北川『日本の重戦車』114頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジロ車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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