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サン=ドニ大聖堂 : ウィキペディア日本語版
サン=ドニ大聖堂[さんどにだいせいどう]

サン=ドニ大聖堂仏語:Basilique de Saint-Denis もしくは単に Basilique Saint-Denis)は、歴代フランス君主の埋葬地となった教会堂1966年よりカトリック教会のサン=ドニ司教座が置かれている。パリ北側の郊外に位置するサン=ドニにある。
== 概要 ==
イングランドにおけるウェストミンスター寺院同様、フランス王のほとんどがここに埋葬されている〔ただしイングランド王の即位式典にも使用されるウェストミンスター寺院とは異なり、フランス王の戴冠式は通常ランスノートルダム大聖堂で行われた。〕。なお、現在この教会堂は大聖堂(カトリックにおける司教座聖堂を意味する語)と呼ばれているが、司教座が置かれたのは1966年であり、それ以前は大聖堂ではなくバシリカローマ教皇から特に重要な教会堂と認められ、特別な地位を与えられた教会堂)であった。
この教会堂の由来として広く知られているのは、フランスの守護聖人である聖ドニ(サン・ドニ)の逸話である〔列聖されたドニという人物は歴史上3人いるが、最も有名なのは最初のパリ司教とされる聖ドニ(パリのディオニュシウス)である。〕。伝説によると聖ドニはモンマルトルで斬首されたが、首を刎ねられてもすぐには絶命せず、自分の首を持ってパリ郊外のこの地まで歩き、そこで倒れて絶命したとされる。以後そこがサン=ドニと呼ばれることとなり、教会堂が建てられたのが、現在のサン=ドニ大聖堂の始まりである。フランク王国ダゴベルト1世628年 - 637年統治)は、ベネディクト派修道院サン=ドニ修道院を創立した。教会堂建造を指揮したのはエリギウスという職人とされる〔聖エリギウスの自伝には、次のような記述がある。「なによりも、エリギウスが聖殉教者ディオニュシウスのためにパリの街に作った霊廟は、すばらしい大理石の祭壇天蓋で覆われ、金と宝石とで豪奢に飾られていた。彼は、墓の頭頂部のクレスト(棟飾り)と見事な前飾りとを組み合わせ、祭壇の司教座を金の軸で丸く囲み、そこに宝石で輝く丸い金のリンゴを置いた。彼は説教壇、銀の門、祭壇の玉座の屋根とそれを支える銀の軸を作った。墓の前の空間に覆いをかけ、聖殉教者の足元に外祭壇を造った。王の命令もあってたいへん贅沢に作り、精力を注ぎ込んだので、たった一つの装飾もガリアに残らなかったほどである。これは今日まですばらしい奇跡として存在する。(「エリギウスの人生(Vita S. Eligius)」 編:Levison on-line at Medieval Sourcebook )〕。
修道院の付近に存在したサン=ドニもしくはランディの市(いち)は、中世ヨーロッパ初期の国際的なだった。当初は公認された特権により公許市場( ''forum indictum'' )の名で知られ、それが ''landit'' あるいは ''lendit'' へと転訛した。市は10月10日から10日間開催され、各国の商人によって取引が行われた〔
* コルネリウス・ウォルフォード 『市の社会史』 中村勝訳、そしえて、1984年。 p271〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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