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ケビン・レイ・タパーニ(Kevin Ray Tapani, 1964年2月18日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国アイオワ州デモイン出身。 == 経歴 == のMLBドラフトでシカゴ・カブスから9巡目に指名されたが入団せず、翌のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスから2巡目に指名を受け入団。オフにはトレードでニューヨーク・メッツに移籍。は7月までにAAAタイドウォーター・タイズで7勝5敗、防御率3.47の成績を残しメジャー昇格。1989年7月4日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初登板を果たす。先発のボブ・オヘーダが1回持たず8失点でノックアウトされた後の登板で、4回1/3を投げ1失点。7月31日に前年サイヤング賞投手のフランク・バイオーラとのトレードでリック・アギレラ、デビッド・ウエストらと共にミネソタ・ツインズに移籍。ツインズでは、先発ローテーションの一角として32回2/3を投げ2勝2敗、防御率3.86の成績を残した。 はシーズンを通して先発ローテーションに定着し、12勝を挙げる。アリーグ新人賞の選考では5位につけた。はキャリアハイと言える防御率2.99、16勝9敗の成績を残した。その年のワールドシリーズ2戦目に登板し勝利投手となり、世界一を経験した。90年からの5年間、タパーニはツインズの先発としてフル稼働し平均で13勝、200イニング以上を投げた。7月31日にクリス・レイサム、ホセ・パーラ、グレッグ・ハンセルらとのトレードでマーク・ガスリーと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍。 ドジャース移籍後はシーズン終盤に4勝を挙げ、シンシナティ・レッズとの地区シリーズではリリーフとして2試合登板するも、1/3回を投げて4四球3失点の大乱調でチームも3連敗で地区シリーズ敗退となった。オフにはフリーエージェントとなり、2月3日にシカゴ・ホワイトソックスと1年契約を結んだ。その年は13勝を挙げ、3年ぶりに200イニングに達した。オフには再びフリーエージェントとなり、12月13日にシカゴ・カブスと5年契約を結んだ。 7月20日のアトランタ・ブレーブス戦ではカブスの投手では史上6人目となる満塁ホームランを放ち勝利投手にもなった。その年は自己最多の19勝を挙げた。しかし、以降のシーズンで二桁勝利は無く、に37歳で現役引退。 引退後はミネソタ州ミネトンカに妻と3人の子供と共に暮らしており、息子の野球チームの指導をしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケビン・タパーニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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