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イーゴリ・グレボヴィチ : ウィキペディア日本語版 | イーゴリ・グレボヴィチ イーゴリ・グレボヴィチ(、? - 1194年〔Бережков Н. Г. Хронология русского летописания 〕。)は12世紀のリャザン公国において、公位をめぐり他の兄弟との相続争いに関わった人物である。リャザン公グレプの子。 ==生涯== 史料には、1177年のコロクシャ川の戦いにおいて、捕虜となるところをかろうじて逃れたという言及がある。 同じく1177年に、前リャザン公であり、ウラジーミル大公国の捕虜となっていた父のグレプが死亡すると、リャザン公国はグレプの子のうちのイーゴリ、ロマン(ru)、ウラジーミルが共同統治を行うということになった。リャザン公位には長兄のロマンが就いた。1180年に兄弟間の紛争が起こったが、イーゴリは長兄のロマンの陣営に付き、ウラジーミル大公フセヴォロドの後ろ盾を得た、兄弟のウラジーミル、フセヴォロドと対立した。1186年に、ウラジーミル大公フセヴォロドの介入により、二度目の兄弟間の紛争が起きたが、この時にはウラジーミルと手を組み、プロンスク公国の援助を受けたフセヴォロド、スヴャトスラフ(ru)と争った。なお、この後ウラジーミル大公フセヴォロドは、不穏な状況にあるリャザンの公たちに、(名目上は)彼らの意志の元で、十字架への誓いのキスを強要した。
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