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インジュー朝 : ウィキペディア日本語版
インジュー朝[いんじゅーちょう]

インジュー朝(いんじゅーちょう Āl-i Īnjū, 生没年:1303年 - 1357年)は、ファールス地方を中心に現在のイランを支配した王朝である。首都はシーラーズ
== 歴史 ==

=== 成立 ===
インジュー朝の創始者はといい、イルハン朝の全盛期を築いた英主のオルジェイトゥに仕えてファールスの地方長官に任命された。インジュー(イーンジュー اينجو īnjū)とは本来モンゴル語で「私有財」を意味する emčü に由来する単語で、イルハン朝では転じて「王(すなわちイルハン朝君主)ないし王家の私領」「王領地」を意味する用語でもあった。他にもイルハン朝で有力重臣に与えられる称号でトルコ語では「真珠」を意味している。
マフムード・シャーは地方長官の地位を利用して勢力を蓄えた。オルジェイトゥの没後は息子のアブー・サイードに仕えたが、対立して長官の地位を解任された。そのためイルハン朝と対立しファールスを奪回しようとするも失敗。1335年にアブー・サイードが没すると後継者として立ったアルパ・ケウンと対立するも1336年に殺害された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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