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アントニオ・セルバンデス : ウィキペディア日本語版
アントニオ・セルバンテス

アントニオ・セルバンテスAntonio Cervantes、男性、1945年12月23日 - )は、コロンビアプロボクサー。身長175cm。元WBA世界スーパーライト級王者。恵まれた体躯を生かした強打で1970年代の中南米ボクシングをリードした名王者。全盛期の強さは圧倒的で、同時期に活躍した石の拳ロベルト・デュランにも匹敵すると評された。
== 来歴 ==
1964年11月19日、18歳でプロデビュー。
1971年12月11日、66戦目にして世界王座に初挑戦。WBA世界スーパーライト級王者ニコリノ・ローチェアルゼンチン)に挑戦し、0-3の判定負けで王座獲得ならず。
1972年10月29日、WBA世界スーパーライト級王者アルフォンソ・フレーザーパナマ)に挑戦し、10回KO勝ちで王座を獲得した。
1973年3月17日、挑戦者ニコリノ・ローチェと再戦し、9回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。
1973年5月19日、挑戦者アルフォンソ・フレーザーと再戦し、5回KO勝ちで3度目の防衛に成功した。
1973年12月5日、挑戦者ライオン古山日本)と対戦し、3-0の判定勝ちで5度目の防衛に成功した。
1974年3月2日、挑戦者李昌吉大韓民国)と対戦し、6回KO勝ちで6度目の防衛に成功した。
1974年10月26日、日本大学講堂で行われた唯一の来日試合で挑戦者門田恭明(日本)と対戦し、8回KO勝ちで8度目の防衛に成功した。
1975年5月17日、挑戦者エステバン・デ・ヘススプエルトリコ)と対戦し、3-0の大差判定勝ちで9度目の防衛に成功した。
1975年9月20日、ノンタイトルマッチでバトルホーク風間(日本)と対戦し、6回TKO勝ちを収めた。
1975年11月15日、挑戦者ヘクター・トンプソン(オーストリア)と対戦し、8回TKO勝ちで10度目の防衛に成功した。
1976年3月6日、敵地プエルトリコで行われた11度目の防衛戦でウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)と対戦し、1-2の判定負けで王座から陥落した。
1977年6月25日、WBA世界スーパーライト王座決定戦でカルロス・ヒメネス(アルゼンチン)と対戦し、5回TKO勝ちで王座に返り咲いた。以後、6度の防衛に成功。
1980年8月2日、7度目の防衛戦でアーロン・プライヤー(アメリカ)と対戦し、4回KO負けで王座から陥落した。
1983年12月9日の試合を最後に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Antonio Cervantes 」があります。



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