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アブドゥル・カディール・カーン : ウィキペディア日本語版
アブドゥル・カディール・カーン

アブドゥル・カディール・カーン(عبدالقدیر خان、Abdul Qadeer Khan、1936年4月1日 - )は、パキスタンの技術者である。「カディール」は、Quadeer、Qadir、Gadeer など数通りの英語表記がある。
1970年代以降、技術の地下ネットワーク(核闇市場)の構築に力を注ぎ、1998年にはパキスタンの原子爆弾実験を成功させたことから(パキスタンの核実験 (1998年))、パキスタンの「核開発の父」と呼ばれる。イランリビア北朝鮮などに核兵器の製造技術を密売し、核拡散を進めた。カーンが構築した地下核ネットワークの全貌は明らかでなく、パキスタン政府の関与が疑われるが、パキスタン政府は関与を否定する。
== 略歴 ==
1935年、大英帝国植民地下のインド中部の都市ボーパールで生まれる。1952年独立したパキスタンに移住する。大学では金属工学を学び、卒業後はヨーロッパに渡り、1970年オランダウラン濃縮機器を製造する()社に就職する。ここで濃縮技術を身に付け、また濃縮機器の部品を発注できる世界中の拠点リストを作った。
1976年、パキスタンに帰国して核開発の責任者となり、1998年核実験に成功する。2004年2月4日、パキスタンのテレビ局PTVの番組に出演し、国際的な地下核ネットワークの構築に関与したことを認めた。その翌日、パルヴェーズ・ムシャラフ大統領の恩赦を受けたが、それ以降自宅に軟禁される。2006年カラーチーの病院で前立腺癌の手術を受け、成功する。パキスタンのイスラマバード高裁(Islamabad High Court)は2009年2月6日、「核開発の父」として知られる博士の自宅軟禁を解除する決定を下した。軟禁解除に伴い、カーン博士は自宅で報道陣の取材に応じ、「軟禁が解かれたのは、アースィフ・アリー・ザルダーリー大統領、ユースフ・ラザー・ギーラーニー首相、そして本件の再考を首相に進言してくれたラフマーン・マーリク内相のお陰だ」と述べ、3人への謝意を示した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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