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D・W・W・コンデ : ウィキペディア日本語版
D・W・W・コンデ[でぃーだぶりゅーだぶりゅーこんで]
D・W・W・コンデ (David W. Conde, 1906年 - 1981年)は、アメリカ人のフリーランスジャーナリスト
カナダオンタリオ州に生まれ、1932年にアメリカに帰化した。1945年10月から1946年7月まで軍属として民間情報教育局映画演劇課長になり、映画会社に左翼的な映画制作を強要し、組合を作らせて、戦後最大の争議といわれる東宝争議の原因を作る。46年~47年にロイターのジャーナリストとして極東国際軍事裁判を報じた。〔David W. Comte - An Inventory of His Papers 〕 47年に連合国軍最高司令官総司令部に説明せずビザを否定されて、アメリカに戻させられた。〔Charles Pomeroy. "Foreign correspondents in Japan: reporting a half century of upheavals, from 1945 to the present". C.E. Tuttle, 1998. p. 33.〕 コンデには、GHQの非難に処罰という説を立てた。〔D・W・W・コンデ「日本映画の占領史」。「世界」1965年8月 p.253〕
平野共余子の調査で、アメリカ共産党員であったことが明らかになっている。〔平野共余子「天皇と接吻」草思社、1998年〕 60年代に日本を訪れ、主に「世界」や「朝日ジャーナル」などの雑誌に寄稿し、「現代朝鮮史」「CIA黒書」「アメリカの夢は終った」等時事論を日本語訳で出版し、韓国でも著作が出版されたが、英語の草稿はあるものの、アメリカで出版されたものはない。〔
日本では、自分の経歴をジャーナリストと語っていたが、日本以外でジャーナリストの経験はまったくなく、アメリカではデパートのセールスマンをしており、日本人に対して経歴を詐称していた。〔『デビッド・コンデ 「反骨の記者」の活動に光』「毎日新聞」2013年4月11日 東京夕刊〕 
== 参考文献 ==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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