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陪都 ( リダイレクト:複都制 ) : ウィキペディア日本語版
複都制[ふくとせい]
複都制(ふくとせい)は、国家に複数のを置く制度で、都をひとつだけ置く単都制に対する概念。広大な領土を有する国に多く採用される。都が2つの場合は両都制(りょうとせい)、両京制(りょうけいせい)ともいう。
また、国家の首都機能を複数の都市に置く制度を指すこともある。現代的な複都制については首都#複都制を参照。
中央集権国家の複都制では、皇帝が常住する都を上京上都京城皇都京師などといい、その他の都を陪都(ばいと)、留都(りゅうと)などという。しかし、陪都に対応する語句は西洋になく、これは東洋的なものとされ、陪都制(ばいとせい)と呼ばれる。日本史で言われる難波遷都などは、正確には天皇の陪都巡守や皇都昇格であり、都を移す遷都とは異なる〔744年天平16年)、聖武天皇が恭仁京を離れて難波に行幸し、一時難波を皇都と定めたが、これも陪都から皇都への昇格で都を移したのではなかった。翌年の平城京への還幸によって再び陪都に戻った。法制史学者の瀧川政次郎は、「従来の日本史では、遷都ということが多すぎる」と指摘している(『京制並に都城制の研究』)。〕。
皇帝が陪都に滞在し、皇帝不在の皇都で国政をみさせるために代理を置くときは、権限を制限したうえで太子を置いたり(太子監国の制)、信頼の厚い重臣などの有力者を置いたりした(留守官の制)。
== ローマ帝国の複都制 ==
2世紀後半、ローマ帝国では正帝副帝による分治が起こり、ディオクレティアヌス帝の時代に帝国が東西に分けられ、2人の正帝と2人の副帝によって四分統治された。これによりニコメディア(イズミット)、シルミウムメディオラヌム(ミラノ)、アウグスタ・トレヴェロールム(トリーア)の4都が置かれ、ローマは首都機能を失ったが、名目的には帝国の都として続いた。その後、西方正帝コンスタンティヌス1世が帝国を統一し、東方に新都コンスタンティノポリスを建てた。
395年には、東帝テオドシウス1世(西帝は形式的に幼い次男ホノリウス)の死により、長男アルカディウスが東帝とされ、都が東のコンスタンティノポリスと西のメディオラヌム(後にラヴェンナへ遷都)に置かれ、東西二分が進むことになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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