翻訳と辞書
Words near each other
・ 都城病院
・ 都城盆地
・ 都城県
・ 都城秋穂
・ 都城簡易裁判所
・ 都城聖ドミニコ学園高等学校
・ 都城自動車学校
・ 都城西高等学校
・ 都城警察署
・ 都城農業高等学校
都城連隊区
・ 都城運動公園野球場
・ 都城道路
・ 都城郵便局
・ 都城都市圏
・ 都城音楽祭
・ 都城駅
・ 都城駐屯地
・ 都城高専
・ 都城高等学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

都城連隊区 : ミニ英和和英辞書
都城連隊区[とじょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みやこ]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [むらじ, れん]
 【名詞】 1. party 2. company 3. group 
連隊 : [れんたい]
 【名詞】 1. regiment 
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps
: [く]
 【名詞】 1. ward 2. district 3. section 

都城連隊区 ( リダイレクト:宮崎連隊区 ) : ウィキペディア日本語版
宮崎連隊区[みやざきれんたいく]
宮崎連隊区(みやざきれんたいく)は、大日本帝国陸軍連隊区の一つ。前身は宮崎大隊区である。宮崎県の一部または同県全域の徴兵召集兵事事務を取り扱った。実務は宮崎連隊区司令部が執行した。大分県鹿児島県の一部を管轄した時期もあった。1907年(明治40年)から1941年(昭和16年)までの名称は都城連隊区であった。1945年(昭和20年)、同域に宮崎地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。
== 沿革 ==
1888年(明治21年)5月14日、大隊区司令部条例(明治21年勅令第29号)によって宮崎大隊区が設けられ、陸軍管区表(明治21年勅令第32号)により宮崎県全域と大分県・鹿児島県の一部が管轄区域に定められた。第6師管第11旅管に属した。
1890年(明治23年)5月20日、大分大隊区が設置されたことにより、管轄区域の大幅な変更が行われた〔陸軍管区表(明治23年5月20日勅令第82号)〕。
1896年(明治29年)4月1日、宮崎大隊区は連隊区司令部条例(明治29年勅令第56号)によって宮崎連隊区に改組され、旅管が廃止となり引き続き第6師管に属した〔陸軍管区表(明治29年3月16日勅令第24号)〕。
1903年(明治36年)2月14日、陸軍管区表が改正され〔陸軍管区表(明治36年2月14日勅令第13号)〕、再び旅管が採用され連隊区は第6師管第24旅管に属し、管轄区域の変更が行われた。
日本陸軍の内地19個師団体制に対応するため陸軍管区表が改正(明治40年9月17日軍令陸第3号)となり〔『陸軍軍戦備』57-58頁。〕、1907年10月1日、名称を都城連隊区に改称し、第6師管第36旅管に属した。
1925年(大正14年)4月6日、日本陸軍の第三次軍備整理に伴い陸軍管区表が改正(大正14年軍令陸第2号)され〔『陸軍軍戦備』101頁。〕、同年5月1日、旅管は廃され引き続き第6師管の所属となり、管轄区域が宮崎県全域となった。
1940年(昭和15年)8月1日、都城連隊区は西部軍管区熊本師管に属することとなった〔陸軍管区表(昭和15年7月24日軍令陸第20号)〕。
1941年4月1日、名称を宮崎連隊区に改称した〔陸軍管区表(昭和15年8月21日軍令陸第23号)〕。
1945年には作戦と軍政の分離が進められ、軍管区師管区に司令部が設けられたのに伴い、同年3月24日、連隊区の同域に地区司令部が設けられた〔『陸軍軍戦備』480頁。〕。地区司令部の司令官以下要員は連隊区司令部人員の兼任である。同年4月1日、熊本師管は熊本師管区と改称された〔陸軍管区表(昭和20年2月9日軍令陸第2号)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮崎連隊区」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.