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逸見猶吉 : ミニ英和和英辞書
逸見猶吉[へんみ ゆうきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なお]
  1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less

逸見猶吉 : ウィキペディア日本語版
逸見猶吉[へんみ ゆうきち]

逸見 猶吉(へんみ ゆうきち、1907年9月9日 - 1946年5月17日)は日本の詩人童話作家。本名は大野四郎。画家としては、士路と号する。新聞記者の和田日出吉は兄、その妻の木暮実千代は兄嫁にあたる〔つぶや記141和田日出吉のこと - 下関市立近代先人顕彰会田中絹代ぶんか館(名誉館長のつぶやき)〕。また、弟の大野五郎は画家〔〔大野五郎 - 八王子市夢美術館〕。
詩は寡作〔草野心平「覚え書」『逸見猶吉詩集』十字屋書店、1948年への添書き。〕。没後1966年に編まれた定本詩集には初期詩篇を含めて78作。『詩と詩論』、『文藝汎論』、『歴程』などの雑誌に寄稿する。歴程創刊時の同人の1人である。
==生涯==
1907年茨城県猿島郡古河町(現・古河市)に生まれる〔イベントアーカイブ - NPO法人足尾鉱毒事件田中正造記念館(2012年11月11日「第6回学び舎研究会が開催されました」の箇所を参照)〕〔「難解さで埋もれた詩人 逸見猶吉(旧谷中村出身)『兇牙利』に新説」下野新聞2012年2月23日〕。祖父と父は、ともに足尾銅山鉱毒事件対策の渡良瀬遊水地用地として強制廃村になった栃木県下都賀郡谷中村で村長を務めていた〔〔。
東京の岩渕尋常高等小学校、暁星中学校を経て、1931年早稲田大学政治経済学部を卒業〔在学中に富名腰義珍の許で空手を学ぶ。田村泰次郎「逸見猶吉の死」『風雪』1947年4月號〕。大学在学中の1928年、逸見猶吉を名乗り、翌年、詩誌『学校』に連作詩「ウルトラマリン」第一部「報告」を寄稿、ほかに第二部「兇牙利的」・第三部「死ト現象」を合わせて同年、詩集『学校詩集』に寄稿。1937年日蘇通信社新京駐在員として満州(中国東北部)に渡る。1940年10月、結成された日本詩人協会に参加する。1941年長谷川濬四郎兄弟共訳の『デルスウ・ウザーラ』(ウラディミール・アルセーニエフ著)を装幀する。1943年関東軍報道隊員として満州北部に派遣される。1946年、新京(長春)で死去〔『定本逸見猶吉詩集』思潮社、1966年〕。
渡良瀬遊水地の一角にある「旧谷中村合同慰霊碑」の傍らに、「ウルトラマリンの詩」の一部を刻んだ詩碑が建立されている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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