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赤川元保 : ミニ英和和英辞書
赤川元保[あかがわ もとやす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 

赤川元保 : ウィキペディア日本語版
赤川元保[あかがわ もとやす]

赤川 元保(あかがわ もとやす)は、戦国時代武将毛利氏の家臣。赤川氏桓武平氏の一家系土肥氏の一門小早川氏庶流赤川房信の四男。
== 生涯 ==
毛利元就が家督相続した際に、起請文に署名した宿老15人の中の一人として、兄就秀とともに元就を支えた。天文19年(1550年)、五奉行制度が始まると、毛利隆元の直属奉行人筆頭に任命された。隆元側近の重臣として活躍するも、親隆元派として驕慢な振る舞いが多く、親元就派の重臣であった児玉就忠桂元忠達としばしば対立した。
永禄6年(1563年)、隆元が和智誠春の饗応を受けた直後、安芸国佐々部で急死する事件が起きた。隆元の死を元保の謀略と考えた元就は、元保の責任を追及し、弟・元久、養子の又三郎共々、蟄居謹慎処分の後、4年後の永禄10年(1567年)に自刃に追い込まれた。
その死後に、元保は和智誠春の饗応を受ける事に反対していたことが判明し、その潔白が確認された。毛利元就は自身の行いを深く恥じ、元保の兄・赤川就秀の次男・元通と甥の元之に赤川家を再興させた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「赤川元保」の詳細全文を読む




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