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赤川次郎 : ミニ英和和英辞書
赤川次郎[あかがわ じろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

赤川次郎 : ウィキペディア日本語版
赤川次郎[あかがわ じろう]

赤川 次郎(あかがわ じろう、1948年2月29日 - )は、日本小説家福岡県福岡市博多区出身。血液型はA型〔天使と歌う吸血鬼 | 集英社 オレンジ文庫 〕。桐朋高等学校卒業〔。1996年度より金沢学院大学文学部客員教授。父親は元満洲映画協会東映プロデューサーの赤川孝一。「赤川次郎」は本名である〔〔。
== 来歴 ==
3歳の頃に手塚治虫の漫画に影響を受け、小学生の時には漫画を描き始めるも挫折。中学時代に『シャーロック・ホームズの冒険』に出会い、3年生の時に見よう見まねで小説を書き始める〔。当時よく読んでいたジャンルに影響され、中世ヨーロッパの騎士の物語などを書いていた〔。空想好きの少年であったようで、恋愛も自分が空想していたとおりであったとエッセイ〔『三毛猫ホームズの青春ノート』36ページ〕に書いている。
父・赤川孝一は他に家庭を持っていたので別居しており、幼少時もほとんど顔を合わせていなかったが、転勤によって東京に引っ越したため、赤川は小学校の担任の薦めにより中高一貫教育の私立桐朋学園を受験することになる〔。無事に合格して進学したが、勉強も運動も苦手でなおかつ金銭的にも困窮していたため、楽しい学校生活ではなかった〔。高校2年生の時に孝一が退社してしまい収入源が完全に断たれたため、大学進学は諦め就職を決意〔。卒業後18歳で日本機械学会事務局編修課に就職し〔、主に機械工学の雑誌に掲載する学術論文を校正する仕事に従事する〔〔。しかし休日には誰かに読ませるあてもないまま、自らのために小説を書き続けていた〔。25歳で結婚し、2年後に娘が産まれる〔。この頃プロを目指すことを決意し、サラリーマン生活を続けながらシナリオを投稿するようになる〔〔。そして天知茂主演のテレビ朝日系テレビドラマ『非情のライセンス』のシナリオ募集に初入選する〔。ほとんど手直しされないまま放送され、初めて“脚本・赤川次郎”と名前が出て喜んだ反面、会社にはばれてしまった〔。1976年、28歳の時に「幽霊列車」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、小説家デビュー〔。1978年には当時主に社会派ミステリーを発行していた光文社カッパ・ノベルスから出版された『三毛猫ホームズの推理』が異色作としてヒットし脚光を浴びる〔。これを契機に小説の依頼が増え、睡眠時間が取れないほど多忙になっただけでなく原稿料収入も給料の2倍程になったため、妻にも背中を押されて退社を決意〔〔。12年のサラリーマン生活を終え、30歳で専業作家となる〔。その直後に『セーラー服と機関銃』を発表した〔。1980年、『上役のいない月曜日』が第83回直木賞候補となる。その後も「三姉妹探偵団」シリーズや「杉原爽香」シリーズなど、さまざまな人気シリーズを生み出す〔。難解な表現をあえて避けた優しい文章と軽妙な表現を得意とし、余人に真似ができないスタイルを構築しており、2015年現在でも年に10冊の執筆をするなど創作意欲は衰えない〔。推理小説(ユーモアミステリー)のほか、ホラーや青春ものなど作品のジャンルは多岐に及ぶ〔。
誕生日が2月29日であるために、1988年に刊行された「三毛猫ホームズ」シリーズカッパ・ノベルスによる著者紹介では「今年で10歳になった、ということになってしまう」と記載されている。多い時には年に20作以上執筆していたこともあり〔、2006年8月に作家生活30年を迎え、執筆作品は480作に達した。その後も著作数は増え続け、2008年には500作、2015年には580冊を突破した。著作の累計発行部数は2015年時点で3億3000万部を超えており〔、2015年現在、この発行部数を記録した日本人作家は赤川しかいない。
オペラや演劇鑑賞を行ない論評するなど、芸術評論も物し、評論集が出版されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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