翻訳と辞書
Words near each other
・ 賈範
・ 賈粲
・ 賈至
・ 賈英華
・ 賈華
・ 賈行
・ 賈覧
・ 賈詡
・ 賈誼
・ 賈誼島
賈謐
・ 賈逵
・ 賈逵 (漢)
・ 賈逵 (魏)
・ 賈静雯
・ 賈顕度
・ 賈顕智
・ 賈魯
・ 賈龍
・ 賉


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

賈謐 : ウィキペディア日本語版
賈謐[か ひつ]
賈 謐(か ひつ、拼音:Jiǎ Mì、277年頃 - 300年)は、中国西晋時代の政治家。長深賈逵の曾孫、西晋の賈充の孫、韓壽賈午(賈充娘)との子。の散騎常侍、後軍将軍。秘書監、侍中。
== 生涯 ==
当初は韓姓であったが、祖父賈充の生前の希望だったとして、祖母の郭槐のごり押しで武帝(司馬炎)の詔を受けて賈氏を継いだ。中国では珍しい異姓養子の例である。
郭槐の死後に秘書監になり、晋書の記述開始年を泰始にするよう王戎張華王衍と上奏した。
武帝の没後、恵帝の皇后である伯母の賈后(賈南風)と図った上で、武帝の外戚で権勢を誇っていた楊駿ら楊一党を滅ぼし、権力を握る。「賈謐二十四友」〔石崇欧陽建潘岳陸機陸雲鏐世徴杜斌摯虞諸葛銓王粹杜育鄒捷左思崔基劉瓌和郁周恢牽秀陳眕郭彰許猛劉訥劉輿劉琨〕という文学集団を形成し、潘岳石崇などその取り巻きが賈謐にへつらう様は、乗車する馬車の塵を拝むほどであったため、「後塵を拝す」の故事を生んだ。賈謐二十四友の一人には陸機左思などがいた。
驕りたかぶった賈謐は皇太子である司馬遹(愍懐太子)に対しても遠慮をせず、司馬遹が希望していた王衍(妻は外戚の郭氏)の長女を妻に迎えたため、司馬遹はやむなく王衍の次女を妻とした。遊びでも手加減しなかったため、脇でそれを見ていた成都王司馬穎の怒りを買うほどであった。
司馬遹が賈氏の打倒を公言するようになると、それを恐れた賈謐は司馬遹を讒言で失脚させようとし、まず敵対する成都王司馬穎を299年1月鄴へ出した上で、同じく司馬遹の存在を恐れていた伯母の賈后(賈南風)と司馬遹の廃嫡と殺害を共謀し、それを実行した。
300年(永康元年)4月、趙王司馬倫がクーデターにより軍権を掌握すると、それを知った賈謐は賈后に助けを求めようとするが、捕らえられて斬り殺された。賈后は廃され他の一族も連座して処刑された。
なお、「賈謐二十四友」は司馬倫の恨みを買っていた杜斌が殺された以外はその後の政治的混乱の影響によって処罰の対象にされず〔賈謐の一族である郭彰は本来であればクーデターで殺害されていた可能性が高いが、『晋書』の列伝に殺害記事がないことや諡号が残されていることから賈謐の殺害時には既に病死していたとみられる(福原、2012年、P248)。〕、陸機らのようにクーデター側に就いた者もいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「賈謐」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.