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織田信右 : ミニ英和和英辞書
織田信右[おだ のぶすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おり]
 【名詞】 1. weave 2. weaving 3. woven item
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 

織田信右 : ウィキペディア日本語版
織田信右[おだ のぶすけ]
織田 信右(おだ のぶすけ、正徳3年(1713年) - 宝暦12年8月18日)(1762年10月5日)は、上野小幡藩の第5代藩主。第4代藩主織田信就の四男。初名は長賢。通称は左膳。官位は従四位若狭守、兵部大輔。
== 生涯 ==
信就の四男であったが、長兄の信房、次いで三兄の信乗が病気を理由に廃嫡され、次兄の信常も多病で相続を辞したため、享保15年(1730年)10月16日に嫡子になった。同年11月15日、将軍徳川吉宗御目見、12月18日従五位下若狭守に叙任する。後に従四位下に昇進する。
享保16年(1731年)7月28日、父の死去により家督を継ぐ。享保18年(1733年)6月13日、藩主として初めてお国入りの許可を得る。延享2年(1745年)3月15日、紅葉山八講会の予参を勤める。なお、藩主を継いだ頃から信右もまた病気がちとなり、藩政を家臣任せでほとんど隠居に等しかった。また、当時の藩財政は収入よりも支出が大きく上回り、宝暦7年(1757年)には江戸表の上屋敷が焼失するという災難もあった。このような中、信右は病を理由に宝暦9年(1759年)11月11日、家督を養子とした弟の信富に譲って隠居し、宝暦12年(1762年)8月18日に50歳で死去した。
正室は水戸家御連枝松平頼明の長女(のち離婚)。子は織田信賁(長男)、織田信尹(次男)、娘(九鬼隆貞継室)の2男1女。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「織田信右」の詳細全文を読む




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