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木村助九郎 : ミニ英和和英辞書
木村助九郎[きむら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [すけ]
 (n) assistance
: [く]
  1. (num) nine 

木村助九郎 ( リダイレクト:木村友重 ) : ウィキペディア日本語版
木村友重[きむら ともしげ]
木村 友重(きむら ともしげ、天正13年(1585年) - 承応3年4月8日1654年5月24日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての紀州藩武士剣豪。運籌流、柳生流(柳生新陰流)。 諱は友重、号は矩泰。幼名通称木村助九郎で知られる。柳生宗矩の筆頭高弟で柳生四天王の筆頭。宗矩の父・宗厳の代からの弟子とされる場合もある。
== 経歴 ==
柳生庄に隣接する大和国の邑地(現在の奈良県邑地町)出身、父は木村伊助。父とともに浪人をした後、大和柳生家に家臣として仕える。18歳の時〔『木村助九郎 兵法聞書』に「我拾八歳より六拾五まてこの道稽古」との記述がある〕に柳生宗矩に入門して兵法を学んで奥義に達し〔綿谷雪『日本武芸小伝』(2011年、国書刊行会)〕、将軍徳川家光が刀法を練る時は毎度相手を勤めたという(『本朝武芸小伝』)。
40歳頃まで柳生家に仕えた後に家光の命で徳川忠長に出仕して駿河に赴いた。忠長が改易された後の寛永11年(1634年)からは徳川頼宣に600石で召し抱えられ、和歌山城に道場を開いて剣術を指南した。慶安元年(1648年)に1度江戸詰めとなり、5年後の承応2年(1650年)に和歌山に戻った〔『柳生一族 新陰流の剣豪たち』(2003年5月11日、新人物往来社)〕。
寛永16年(1639年2月14日、家光が大病中に諸藩の武芸者を集めて兵法上覧を行った際には、師・宗矩の子息である柳生三厳柳生宗冬と共に参加。友重は大久保式部省輔と3試合、鵜殿惣十郎と4試合して全て勝利したという。慶安4年(1651年)3月6日、死の床にあった家光を慰めるために行われた兵法上覧においても、紀州藩を代表して藩士・田宮平兵衛と共に出場して試技を披露する〔『徳川実紀』〕など剣豪、剣客として広く剣名を知られた柳生の顔である。
承応3年4月8日病死。享年70。嫡子木村助九郎友安が後をつぎ、木村家の子孫は代々、江戸末期木村金吾友重まで紀州藩の剣術指南役をつとめた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木村友重」の詳細全文を読む




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