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吉川經健 : ミニ英和和英辞書
吉川經健[けん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 

吉川經健 ( リダイレクト:吉川経健 ) : ウィキペディア日本語版
吉川経健[きっかわ つねたけ]
吉川 経健(きっかわ つねたけ、安政2年8月26日1855年10月6日) - 明治42年(1909年6月4日))は、日本の華族周防岩国藩の第2代(最後)の藩主。
初代藩主・吉川経幹の長男。母は井上円治の娘。正室は毛利元純の娘・磯子。継室は堤功の娘・松子、加藤泰秋の娘・直子、千家尊澄の娘・喜佐子(千家尊福の妹)。子は娘(吉川元光正室)。弟・吉川重吉の長男・元光を婿養子として迎えた。官位は贈従二位子爵、正四位駿河守。幼名は菊川芳之助
慶応3年(1867年)、父の死去により跡を継ぐが、毛利敬親の命令でその死去が隠されたため、正式に跡を継いだのは明治元年(1868年)12月28日である。明治2年(1869年)1月に叙任し、同年6月には戊辰戦争の東北戦争で功績を挙げたことから、永世5000石を与えられた。同年、版籍奉還により藩知事となる。
明治3年(1870年)に本家の長州藩で脱退兵騒動が起こると、その鎮圧に努めた。明治4年(1871年)に廃藩置県で免官となり、東京へ移る。以後は旧藩士に対して義済堂を創設して、その自立を助けた。明治17年(1884)に男爵を受爵、明治24年(1891年)には子爵に陞爵(しょうしゃく)する。明治42年(1909年)6月4日に死去した。享年55。墓所は山口県岩国市横山の洞泉寺山墓地。
== 栄典 ==

* 1887年(明治20年)12月24日 - 従四位〔『官報』第1351号、「叙任及辞令」1887年12月28日。〕
* 1887年(明治20年)12月27日 - 金製黄綬褒章〔『官報』第1351号、「彙報 - 官庁事項 - 褒章 - 黄綬褒章下賜」1887年12月28日。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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