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南鄕茂光 : ミニ英和和英辞書
南鄕茂光[みなみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

南鄕茂光 ( リダイレクト:南郷茂光 ) : ウィキペディア日本語版
南郷茂光[なんごう しげみつ]
南郷 茂光(なんごう しげみつ/もちてる、1838年8月19日天保9年6月30日) - 1909年明治42年)12月11日)は、幕末加賀藩士明治初期の海軍官僚文官)、海軍軍人。最終階級は主計大監(大佐相当官)。別名・浅津 富之助(あさづ とみのすけ)。
== 経歴 ==
加賀藩士・遠藤八左衛門の嫡男として生まれる。後に父が南郷家を継いで南郷九右衛門と改名したために茂光も南郷姓を名乗った。江戸に上って、村田蔵六兵学を、高島秋帆砲術を、細川潤次郎英語を学んだ。後に藩の軍艦機械頭取となって加賀藩の新式陸海軍の整備に尽力した。1867年慶応3年)に藩命によってイギリス留学する。翌1868年(明治元年)の帰国後に明治政府に出仕して、大阪府外国事務局判事試補に任じられる。
1872年(明治5年)に兵部省に出仕後、そのまま海軍省に属した。当時、帝国海軍の職制は固まっておらず、南郷は軍人身分ではなく、文官身分のまま在籍して経理畑を歩むことになる。1884年(明治17年)に主計大監に任命され、総務局副長と海軍卿秘書官を兼務した。ところが、1886年(明治19年)に海軍省官制が公布され、海軍省の職員は武官をもって補し、原則として文官は置かれない事となり、兵科士官が優遇されることとなったため、将校相当官である南郷は督買部理事官へと事実上左遷され、海軍将官会議書記を経て1889年(明治22年)には休職を余儀なくされた。1898年(明治31年)6月に退役
1890年(明治23年)に、元老院議官に任命され、翌年12月22日に貴族院議員に勅撰される〔『官報』第2546号、明治24年12月23日。〕。平田東助とともに山縣有朋と連携して茶話会を結成してその指導者として活躍した。1909年(明治42年)、胃腸カタルの悪化により病没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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