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前田珍長 : ミニ英和和英辞書
前田珍長[まえだ よしなが]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ちん]
  1. (adj-na,n) rare 2. curious 3. strange 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

前田珍長 : ウィキペディア日本語版
前田珍長[まえだ よしなが]
前田 珍長(まえだ よしなが、明和3年1月14日1766年2月22日) - 文化9年7月3日1812年8月9日))は、江戸幕府高家旗本で侍従隠岐守前田清長の長男。生母は牧野因幡守明成の娘、牧野豊前守惟成の妹・岑(みね)。幼名は長九郎。通称は式部、采女、帯刀。高家・前田家四代の当主。
寛政元年(1789年)2月29日に実父・清長が死去し、同年5月3日、父清長の家督を相続を仰付けられ、表高家となる。同月15日に十二代将軍徳川家斉に御目見し、御太刀銀馬代を献上、家督の御礼を申し上げる。
前出の投稿の文面に、『寛政重修諸家譜』によれば、家督を相続後、将軍に御目見することなく隠居しており、健康状態に問題を抱えていたことを推測される」と記述があるが、誤りである。前田家の現当主が所蔵する「前田家系譜」によれば、「寛政元年11月25日、家来の者が供先において口論に及び、家来どもそれぞれ御仕置となり、それにより差扣仰付けられたが、同年12月26日には差扣御免となる」と、記されており、健康状態が問題ではないことが解る。また、将軍家斉に御目見していることも資料により、確認できる。
寛政10年(1798年)11月29日に願の上隠居し、養子前田長皓(実弟)に家督を譲り、相続させている。文化9年(1812年)7月3日病死、享年47。市ヶ谷・自證院に葬。 法号・積善院性岳圓德大居士。
妻及び実子は無し。
== 参考文献 ==

*「前田家先祖書」
*「前田家系譜」
*『寛政重修諸家譜』



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「前田珍長」の詳細全文を読む




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