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ロイヒテンベルク公 : ミニ英和和英辞書
ロイヒテンベルク公[ろいひてんべるくこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ロイヒテンベルク公 : ウィキペディア日本語版
ロイヒテンベルク公[ろいひてんべるくこう]

ロイヒテンベルク公::)は、ドイツのバイエルン王国において創設された公爵位。1817年11月14日に、ウジェーヌ・ド・ボアルネに与えられた。
ウジェーヌはフランス皇帝ナポレオン1世の継息子・養子で、継父からライン地方のフランクフルト大公国()やイタリア王国の統治を任されていた。ナポレオンの没落後、義父であるバイエルン王マクシミリアン1世は、地位を失ったウジェーヌに対する補償としてロイヒテンベルク公爵位を授け、同時に半独立的なアイヒシュテット侯領()を授けた。
第2代公爵のオーギュストはポルトガル女王マリア2世の最初の夫君となったが、ポルトガル王家に継嗣をもたらさないまま早世した。
その弟の第3代公爵マクシミリアンは、ロシア皇帝ニコライ1世の長女マリヤ・ニコラエヴナとの結婚によってロシア帝室の一員となり、敬称も「諸侯家の殿下()」から「皇帝家の殿下()」へと昇格した。以後、ロイヒテンベルク公爵家は事実上は広義のロシア皇帝家に属した。1855年、第4代公爵ニコライ・マクシミリアノヴィチはバイエルンのアイヒシュテット侯領を放棄した。
1890年、第4代公爵ニコライはロシア皇帝アレクサンドル3世によりロシア貴族の爵位であるロイヒテンベルク公爵位を授けられた。この爵位はあくまで儀礼的なもので、付属の領地などを伴わなかった。バイエルン側の公爵位は、ニコライの弟に相続されたが、ロシア側の公爵位は、ニコライが貴賤結婚によってもうけた息子に受け継がれた。
2つのロイヒテンベルク公爵位は1917年と翌1918年のロシアとドイツにおける共和制移行により、名目上のものとなった。バイエルン側の公爵位は1974年に継嗣が絶えたが、ロシア側の公爵位は現在も相続人が存在する。'';:)は、ドイツのバイエルン王国において創設された公爵位。1817年11月14日に、ウジェーヌ・ド・ボアルネに与えられた。
ウジェーヌはフランス皇帝ナポレオン1世の継息子・養子で、継父からライン地方のフランクフルト大公国()やイタリア王国の統治を任されていた。ナポレオンの没落後、義父であるバイエルン王マクシミリアン1世は、地位を失ったウジェーヌに対する補償としてロイヒテンベルク公爵位を授け、同時に半独立的なアイヒシュテット侯領()を授けた。
第2代公爵のオーギュストはポルトガル女王マリア2世の最初の夫君となったが、ポルトガル王家に継嗣をもたらさないまま早世した。
その弟の第3代公爵マクシミリアンは、ロシア皇帝ニコライ1世の長女マリヤ・ニコラエヴナとの結婚によってロシア帝室の一員となり、敬称も「諸侯家の殿下()」から「皇帝家の殿下()」へと昇格した。以後、ロイヒテンベルク公爵家は事実上は広義のロシア皇帝家に属した。1855年、第4代公爵ニコライ・マクシミリアノヴィチはバイエルンのアイヒシュテット侯領を放棄した。
1890年、第4代公爵ニコライはロシア皇帝アレクサンドル3世によりロシア貴族の爵位であるロイヒテンベルク公爵位を授けられた。この爵位はあくまで儀礼的なもので、付属の領地などを伴わなかった。バイエルン側の公爵位は、ニコライの弟に相続されたが、ロシア側の公爵位は、ニコライが貴賤結婚によってもうけた息子に受け継がれた。
2つのロイヒテンベルク公爵位は1917年と翌1918年のロシアとドイツにおける共和制移行により、名目上のものとなった。バイエルン側の公爵位は1974年に継嗣が絶えたが、ロシア側の公爵位は現在も相続人が存在する。'')は、ドイツのバイエルン王国において創設された公爵位。1817年11月14日に、ウジェーヌ・ド・ボアルネに与えられた。
ウジェーヌはフランス皇帝ナポレオン1世の継息子・養子で、継父からライン地方のフランクフルト大公国()やイタリア王国の統治を任されていた。ナポレオンの没落後、義父であるバイエルン王マクシミリアン1世は、地位を失ったウジェーヌに対する補償としてロイヒテンベルク公爵位を授け、同時に半独立的なアイヒシュテット侯領()を授けた。
第2代公爵のオーギュストはポルトガル女王マリア2世の最初の夫君となったが、ポルトガル王家に継嗣をもたらさないまま早世した。
その弟の第3代公爵マクシミリアンは、ロシア皇帝ニコライ1世の長女マリヤ・ニコラエヴナとの結婚によってロシア帝室の一員となり、敬称も「諸侯家の殿下()」から「皇帝家の殿下()」へと昇格した。以後、ロイヒテンベルク公爵家は事実上は広義のロシア皇帝家に属した。1855年、第4代公爵ニコライ・マクシミリアノヴィチはバイエルンのアイヒシュテット侯領を放棄した。
1890年、第4代公爵ニコライはロシア皇帝アレクサンドル3世によりロシア貴族の爵位であるロイヒテンベルク公爵位を授けられた。この爵位はあくまで儀礼的なもので、付属の領地などを伴わなかった。バイエルン側の公爵位は、ニコライの弟に相続されたが、ロシア側の公爵位は、ニコライが貴賤結婚によってもうけた息子に受け継がれた。
2つのロイヒテンベルク公爵位は1917年と翌1918年のロシアとドイツにおける共和制移行により、名目上のものとなった。バイエルン側の公爵位は1974年に継嗣が絶えたが、ロシア側の公爵位は現在も相続人が存在する。
== ロイヒテンベルク公(1817年 - 1918年、バイエルン) ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロイヒテンベルク公」の詳細全文を読む




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