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ヨハン・クリストフ・ゴットシェート : ミニ英和和英辞書
ヨハン・クリストフ・ゴットシェート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハン・クリストフ・ゴットシェート : ウィキペディア日本語版
ヨハン・クリストフ・ゴットシェート[ちょうおん]

ヨハン・クリストフ・ゴットシェート(Johann Christoph Gottsched, 1700年2月2日1766年12月12日)は、ドイツ啓蒙主義時代の文学者。
== 業績 ==
ケーニヒスベルク牧師の子として生まれ、ザクセンに移住して1734年からライプツィヒ大学詩学哲学の教授として、フランスの合理主義思想を鼓吹した。哲学ではゴットフリート・ライプニッツクリスティアン・ヴォルフの系譜をひく。当時のバロック風の歪曲・誇張された傾向に対してドイツの演劇・文学・言語の革新を志した。ゴットシェートは「文学の革新は全ドイツの共同の栄誉を目標とすべきである」と考えていたが、当時のドイツ文学は取るに足らぬ伝統しかないために、フランスのピエール・コルネイユジャン・ラシーヌや詩学ではニコラ・ボアロー=デプレオーを〈良き趣味〉の手本として推奨した。劇場が正統派ルター派にとっては悪魔の説教壇であった時代で、演劇に関心を持ち、俳優の地位と演目内容の向上、さらに近代標準語の純化と普及に功績があった。
1727年から1740年頃の名声は非常に高かったが、チューリヒの大学教授でイギリスのミルトンを模範とすべきと主張するボードマーやブライティンガーと論争をし、それを境としてゴットシェートの名は学問を鼻にかける愚物の代名詞となり、軽蔑にさらされる。
妻ルイーゼ(Luise Adelgunde Victorie)は自ら喜劇を書き、良き協力者であった。女優のF.C.ノイバーも初め彼と親しくしていたが、後には敵対する。ライプツィヒに没する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン・クリストフ・ゴットシェート」の詳細全文を読む




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