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ディノ・ラジャ : ミニ英和和英辞書
ディノ・ラジャ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ディノ・ラジャ : ウィキペディア日本語版
ディノ・ラジャ

ディノ・ラジャ(Dino Rađa 1967年4月24日-)は、クロアチアスプリト出身のバスケットボール選手。現在KKスプリトの会長を務めている。
== 経歴 ==

=== クラブチームでの経歴 ===
地元のKKダルヴィンでキャリアを開始した。その後KKスプリトに入りプロ生活を始めた。そこで彼はトニー・クーコッチと共に2度ヨーロッパのクラブ選手権を制覇した。また1988-89シーズンにはに選ばれている。その後彼はセリエAヴィルトゥス・ローマに移籍して、チームの3連覇には立ち会わなかった。1990-91シーズン、彼は平均18.1得点をあげ、ヨーロッパのスポーツジャーナリストによる投票で、そのシーズン2番目に活躍した選手に選ばれた(最も票を集めたのはトニー・クーコッチ)。その後彼は平均得点を20.2得点、21.5得点とあげていき、1992年チームはで優勝した。
1989年のNBAドラフト2巡目にボストン・セルティックスに指名されていたが、1993年にセルティックスと契約を結んだ。ルーキーシーズン、彼は平均15.1得点、7.2リバウンドをあげてNBAオールルーキーセカンドチームに選ばれた。セルティックスでは1試合平均16.7得点、8.4リバウンドをあげた。1997年、フィラデルフィア・セブンティシクサーズクラレンス・ウェザースプーンとのトレードが持ち上がったが、6月24日、フィジカルテストに失格した。
この年彼はヨーロッパへ復帰、パナシイナイコスBCに加入、2シーズンを過ごしギリシャA1バスケットボールリーグでの連続優勝に貢献した。クラブ社長の息子との試合後ロッカールームでの諍いもあり、彼はチームを退団、1999年にクロアチアのKKザダルに加入した。2000年にはギリシャに復帰、パナシナイコスの長年のライバルであるオリンピアコスBCに加入したが優勝することはできなかった。2001-2002シーズンをKKシボナ、2002-2003シーズンはKKスプリトでプレー、リーグ戦の優勝を花道に現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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