翻訳と辞書
Words near each other
・ スッコース
・ スッサコーン・ソー・クリンミー
・ スッザーラ
・ スッタニパータ
・ スッタ・ニパータ
・ スッター・レーシング・テクノロジー
・ スッチー
・ スッチーヴォ
・ スッツング
・ スッティサーン駅
スッティチャイ・ユン
・ スットゥング
・ スットゥングル
・ スットゥングル (衛星)
・ スットン
・ スットン便所
・ スッド
・ スッド・エスト線
・ スッド・エスト鉄道
・ スッパマン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

スッティチャイ・ユン : ミニ英和和英辞書
スッティチャイ・ユン
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


スッティチャイ・ユン : ウィキペディア日本語版
スッティチャイ・ユン

スッティチャイ・ユン(, 1946年11月24日 - )はタイジャーナリスト作家、タイ英字新聞紙『ネーション』、経済紙『クルンテープ・トゥラギット』、iTVおよびネーションチャンネルの創設者。現在ネーション・マルチメディア・グループの編集主幹、『クルンテープ・トゥラギット』のコラムニスト
== 略歴 ==
スッティチャイは、1946年11月24日ソンクラー県ハートヤイ郡の貧しいタイ華人の家庭に生まれる。弟にはタイPBS理事のテーパチャイ・ヨーン(เทพชัย หย่อง)がいる。バンコクの高校に進学。学業の間に『バンコク・ポスト』、『サヤーム・ラット』紙に投稿していた。高校卒業後シイベルヘグナーに入社。入社3ヶ月後にノーンカーイ県パームアン・ダムの建設のためにやってきたアメリカ人技術者の通訳となり、仕事を終えた後にチュラーロンコーン大学マスコミュニケーション学科(現コミュニケーション学部)に進学した。1968年、在学中にバンコク・ポストの校正部門で職員として働くが、学業を止め仕事に専念することに決めた。学位もなく、年も若かったスッティチャイであったが、仕事を始めてわずか5ヶ月で編集者に抜擢された〔จินตกรรม. คอลัมน์สโมสรวรรณกรรม. ''นิตยสารศิลปวัฒนธรรม'' ฉบับ 8 มิถุนายน พ.ศ. 2551 หน้า 24-25 〕。
1971年バンコク・ポストの『バンコク・ワールド』紙事業の買収を受けて、新聞業界の独占化を憂いた、スニダー・ギティヤゴーンタンマヌーン・マハーパオラヤが友人のジャーナリストらとともに株式公開、200万バーツの資本金を集めて初のタイ人所有の英字新聞紙『ザ・ヴォイス・オブ・ネーション』を1971年9月1日に設立。1976年11月8日に紙名を『ザ・ネーション・リヴュー』に変更。1976年10月6日のクーデター時には言論統制が布かれ、一時発行が禁止された。1985年、現在の紙名『ザ・ネーション』に変え、現在に至る。
またスッティチャイはタイ国内初の経済日刊紙『クルンテープ・トゥラギット』を1987年10月6日に創設。テレビ局iTVの運営メンバー、テレビ局ネーションチャンネル、ラジオ局ネーションラジオの創設者でもある。
コラムニスト、批評家、インタヴュワーとしても有名であり、1991年湾岸戦争時に3チャンネル、9チャンネルに出演し、活躍。さらにネーション・グループの番組「ネーション・ニュース・トーク」に出演。特にスッティチャイの発言の最後につけられる敬語「クラップ」の特徴的な言い回しが知られ、よくモノマネに利用されることがある。
妻は女性文芸誌『ララナー』の元編集長ナンタワン・ユン。息子プラープダー・ユン2002年東南アジア文学賞受賞作家。娘もおり、名はチムブン・ユン。
2008年シーブーラパー賞受賞〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スッティチャイ・ユン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.